起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。
もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第38回)。
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なにかと難癖をつけて殴る蹴るが当たり前に
松永太による緒方純子への暴行は、1984年の秋頃に始まり、徐々にその内容は苛烈を極めていった。当時の福岡県警担当記者は語る。
「豹変してからの松永は、なにかと難癖をつけて緒方に対して殴る蹴るが当たり前になり、頭を靴で殴ったりもしています。さらに緒方の存在により、自分の人生が狂わされたという内容の恨み言を繰り返し、彼女が自責の念にかられるように仕向けていました。また、松永は緒方が友人や家族との関係を絶つように電話をかけさせ、横からメモを差し出しては彼女の意思に反した罵詈雑言を言わせています。そうして相手を怒らせて緒方を孤立させ、精神的に追い込んでいったのです」
幼稚園勤務の後にホテルで尋問と暴力を受ける日々
この時期の暴力について、福岡地裁小倉支部で開かれた公判(以下、公判)での緒方弁護団による最終弁論では、以下の状況を訴えている。前回で取り上げた、公判での判決文の検察側による〈事実認定の補足説明〉と多少重複する部分もあるが、こちらがより詳細であるため紹介しておく。
〈松永は「お前のせいで結婚がだめになった、人生がめちゃくちゃになった」「浮気をしているだろう」などと言っては、緒方に対し殴る蹴るの暴力を振るうのである。異常なことに緒方の3年分の日記をホテルに持ってこさせ、松永と交際を始める前に交際していた男性について根掘り葉掘り質問し、緒方が誠実に回答するもこれに納得せず、暴力を振るい続けた。緒方は髪の毛をつかんで引きずり回され、頭、腕、足や胸を殴られ、蹴られ、分厚い電話帳で後頭部を殴られ、あちこちにあざが出来た。散々暴行を受けた後にホテルを出るときは、緒方は抜けた髪の毛を拾い集めては、トイレに流すのが常であった。
毎晩のように、幼稚園勤務の後ホテルで尋問され、暴力を受けるため、緒方は殴られずに無事帰れるかと常に恐怖を覚え、そういう中でセックスもなされた。ホテルから解放されるのは早朝のことであり、緒方は眠る時間が全くなかったり、眠れても3時間程度という日が続いた。このような虐待を受けながらも、緒方は松永の暴力を愛情の現れだと信じていた〉
緒方を追い詰めた松永の目的については、公判での、検察側の論告書で示されている。