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30年越しで得られた取材機会

 これほどの大事件に関わりながら直接取材できない無念さが残ったまま30年の歳月が流れたが、意外なことから事件の全貌を知る機会が訪れた。じつは江崎副操縦士と私は親戚関係にあり、ある宴会の席でたまたま隣り合わせになった際、自然に「よど号」事件の話題になり、改めてくわしく話をしてもらえることになったのだ。また石田真二機長をはじめ、クルーの方々にも会えることになったが、石田機長には大阪の居酒屋で、江崎副操縦士には自宅で、そのほかのクルーや乗客の方には喫茶店や職場などで話を聞いた。

 それらの取材で得た情報は私が初めて聞くものがほとんどだったが、その全貌を順を追ってまとめておこうと思う。

「よど号」の乗員は戦争中に重爆撃機で主として東南アジアへの輸送任務にあたる一方、特攻隊員の夜間操縦訓練の教官も経験した機長の石田真二、副操縦士の江崎悌一、相原利夫航空機関士、スチュワーデスの神木広美、久保田順子、沖宗陽子、スチュワーデスの訓練生、植村初子の7人であった。

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©iStock.com

 出発前、搭乗口で乗客を迎えたチーフスチュワーデスの神木は数人の男性客が大きな筒状のものを持っていたので「お預りしましょうか」と尋ねたが、「自分で持っているからいい」というのでそれ以上声はかけなかった。しかし製図を巻いて入れるような大きな筒で着席しても膝の上に載せたりしているので、よほど大事なものだろうと思ったという。

「よど号」が離陸し、シートベルト着用のサインが消えたため神木がお茶の用意をと立ち上がろうとした瞬間、短刀を持った男が立ちふさがり、持っていたビニールの洗濯用ロープで後ろ手に縛り上げた。神木は何が起きたかまったく理解できなかったが、ちょうどその頃操縦席では石田機長が操縦桿に機首がやや下がる手応えを感じていた。その時だいぶ機内で人が動いているなと思ったそうだが、じつは客室内で人が前後に移動するだけで機体の重心位置が変わり、それを操縦桿が敏感に感知するのだという。江崎も客席の方が騒がしいなと思っていた。