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「嫌よ嫌よも好きのうち」は大間違い…危険な性行為につながりかねない“AV教科書化問題” とは

『知らないと恥をかく「性」の新常識』より #2

2020/12/16
note

性教育の重要性

――「嫌よ嫌よも好きのうち」だと本気で思い込む人がいるのはこわいですね。実際に性暴力の被害が出そうです。

 被害が出ていると考える方もいます。私は、AVはフィクションだと伝えて、実際に性教育を行うことで、防ぐことができる被害もあると思います。AVは個人の性欲なりなんらかの欲を満たすために作られた虚像です。性教育はAVの代替にはならないけど、性教育をきちんと受けていれば、その虚像であるAVも適切に扱えるようになる。

 性教育も義務教育のものだけではなくて、家庭での性教育もありうるし、それこそ地域の性教育もありうる。その中でAVを含む氾濫した性情報についても扱うのであれば、性教育も意味があると思います。

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AVは「映える」ようにしている

――第1部の「AVはフィクションである」というパートで出た意見について教えてください。

 男性向けAVも女性向けAVも「当然、フィクションです」という話をしました。一部には、女性向けAVを見本にすればいいんじゃないかという意見もあるんですけど、私はその説には賛同しません。女性向けAVも「女性」ないし「女性的な人」の欲望を商品化したものに過ぎません。これではフィクションのものを現実として受け止めてしまうという構図は変わりません。

 あとAVは「映える」ようにしているという話をしました。

――やっぱり、あれはリアルではないと。

 そうですね。皆さん、口を揃えて言っていたのは「普段のセックスはもっと地味です」ということ。プライベートのエッチではあんなに体位を変えないとおっしゃっていました。AVでは気持ち良さではなく、どれだけキレイに見えるかが重要になってくると。

©iStock.com

 普通のドラマだってそうじゃないですか。恋愛ドラマだって本当の恋じゃないでしょ。SFだって本当の火星ではないわけ。映像は作り物であるがために、いろいろな工夫をしている。それはAVも同じこと。

 AVにはいろいろなプレイが出てきますが、その中には危険なものもある。危険なプレイを撮る際には、たくさんの配慮がなされている。男優さんや女優さんはもちろん、監督だったり、それこそ裏方をやっている人たちにも配慮した上で、撮影に挑んでいる。それにもかかわらず、危険なプレイの映像の部分だけを切り取って、一般の人がやって事故が起きることもある。それはAV関係者が望んでいることではないだろうなと思う。