文春オンライン

「嫌よ嫌よも好きのうち」は大間違い…危険な性行為につながりかねない“AV教科書化問題” とは

『知らないと恥をかく「性」の新常識』より #2

2020/12/16
note

――何か世の中に対して言いたいことはありますか?

「AV教科書化」に物申す! なんてイベントをやらなくちゃいけない世の中はクソだと思いますね(笑)。

どのようなAVが“望ましい”のか

 岡野さんは、現在、アクティビスト同士の横のつながりを作ろうと交流会の実施や、カフェ&バーの運営(中目黒の「カフェ&バーぬくぬく」。このお店は2020年2月17日をもってとりあえず営業を終了した)をしている。なかなか辛辣な意見も出たが、確かに21世紀になって20年も経つのに、フィクションをいちいちフィクションだと言わなければならない社会はどうかしているのかもしれない。どのようなAVが望ましいのか?

ADVERTISEMENT

©iStock.com

 岡野さんによる「AVはフィクションだ」という警告。実はいまではよく見かける警告でもある。でも、よくよく考えると「AVはフィクションだ」という警告は大切だが、それだけではあまりにも漠然としている。AVの何がどう創作なのかわからないからだ。日常の中のセックスを撮影したわけではないという意味でフィクションだというなら、それはいわれるまでもなく多くの視聴者が把握していることだろう。しかし、キスをすること、「挿入」をすることはリアルなセックスでも行われる行為だ。これはフィクションではない。では、「イラマチオは?」「スパンキングは?」「顔面騎乗は?」……。これらはリアルとも、フィクションとも言いがたい(ちなみにこれらはFANZA動画のカテゴリーに実際にあるものである)。たぶん、フィクションだと思う派とリアルだと思う派の両方が出てくるはずだ。

創作ではないセックスの伝え方

 教育的な観点からいえば、単に「AVはフィクションだ」というだけでは足りない。AVのどのようなところが創作で、実際のセックスではどうすればよいのか、までアドバイスすることで、はじめて望ましいセックスができるようになる。つまり、ある意味で創作ではないセックスを伝える必要がある。

 このように考えた場合に、AVにはエンタメ以上のポテンシャルがあるように思われる。これまでの娯楽としてのAVじゃなくて、本当のセックスに役立つAVというのも十分に成立する(実際にセックスのハウツーを描いたビデオは昔から存在した)。安全なセックスをするためのAV、愛のあるセックスをするためのAV、お互いが気持ち良いセックスをするためのAVなどなど、いろいろなパターンの役立つAVが考えられる。そして、実際にこのようなAVの可能性を追求する動きがある。

【参考文献】
*1 河合幹雄,2018/1/28,「『AV 出演強要』何が問題だったのか?有識者委員会メンバーが明かす」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54218)現代ビジネス

*2 河合幹雄,2019/7/16,「6361 本の作品を配信停止…「AV 出演強要問題」のその後」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65760)現代ビジネス

*3 messy, 2018.12.02,「大学生が一徹、紗倉まなら有名AV 俳優や産婦人科医と『AV の教科書化』に物申す!」(https://mess-y.com/archives/67788

「嫌よ嫌よも好きのうち」は大間違い…危険な性行為につながりかねない“AV教科書化問題” とは

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー