ただ『エール』は内容云々よりも、コロナ禍があって、途中、2ヶ月も放送が中断してしまったことがお気の毒であった。中断している間、再放送をしていたが視聴率は13%台に下がった。それでも、昨今のほかのドラマと比べたら好成績なのだから、驚くべき番組の強さである。
“13%の固定客”にどれだけ上乗せできるかが勝負
朝ドラは「時計代わり」とも言われているが、再放送でも繰り返し見ている人が13%はいるということがコロナ禍で明白になった。その層に、あとどれだけ積極的に見る層を上乗せできるかが作り手の勝負どころ。毎回、手を替え、品を替え、アイデアを駆使して、新たな視聴者の獲得にかかる。
固定客は年齢とともに減っていくから、上乗せした新しい層を固定客に入れ替えていく。それが未来の朝ドラにつながるのである。言ってみれば、朝ドラとは、創業時から継ぎ足し継ぎ足しで、伝統の味を残し続ける秘伝のソースが売りの、老舗の名店みたいなものだ。
『エール』の場合、前半、「オリンピック・マーチ」や甲子園の歌などを作った国民的作曲家・古関裕而をモデルにした人物のドラマということで注目を集め、休止明けには、今までの朝ドラにないほど戦争を逃げずに描いたことを徹底的に周知させ、最後は、異例のカーテンコール。当初よりドラマの脇を固め、注目されていたミュージカル俳優たちによる古関裕而メドレーで締め、有終の美を飾った。
2ヶ月もの中断による『エール』離れに歯止めをかけたこの渾身の力技は、コロナ禍で苦しんでいる日本全国の人々へ「一緒にがんばろう」というメッセージを送ることにもなった。それは評価に値する。ただそれが諸刃の剣になったともいえるのだ。
「あまちゃん」と何が違った?
物語の内容よりも、話題性が先走り、番組がお祭り化したこと。“朝ドラの『エール』”というよりも、『エール』という単発ドラマの存在感が際立ったことで、良くも悪くも朝ドラの伝統を大きく崩した。
それを言ったら『あまちゃん』だってそうだったではないか、と反論される方もいるだろう。しかし『あまちゃん』は、“朝ドラを楽しむ”をテーマに掲げ、徹底して、朝ドラの流儀を取り入れながら、その上で現代性を盛り込んでいったのだ。
都会と地方。少女の成長。家族。仕事。友情。さらに、震災という日本人が受けた喪失の悲しみに寄り添うこと。だから『あまちゃん』は、はじめて朝ドラを見た層が、朝ドラの構成要素の面白さを知る、入門編になっていた。