ついに「エール」が終幕を迎えた。朝ドラといえば、ロケ地巡りや関係スポットの観光も盛んだ。

 今回の場合、福島市の古関裕而記念館は外せない。同館は、主人公・裕一のモデルとなった古関の関係資料を多数収蔵し、作曲家の記念館として日本有数の規模を誇る。コロナ禍が収まれば、訪問を考えているひとも多いだろう。とはいえ、それだけで済ますのはもったいない。

 そこで以下では、古関の評伝を執筆した著者が、「3密」にならない屋外中心に、意外と知らない“身近な”観光地を紹介したい。

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本当の初ヒットは「船頭可愛や」ではなく……

 まずは、茨城県の潮来市に行こう。ここは、古関裕而がヒットメーカーへ躍進するきっかけになった、「利根の舟唄」の誕生に大きく関わっている。

 一般に、古関メロディー最初のヒット曲は「船頭可愛いや」と言われる。朝ドラでもそのように描写された。だが、本当の初ヒットは、1934年にリリースされた「利根の舟唄」だった。この成功により、古関は契約解除に怯えず、曲作りに専念できるようになったのである。

『エール』に出演した(左から)佐久本宝さん、窪田正孝さん、唐沢寿明さん、菊池桃子さん ©共同通信社

 作詞者は、「船頭可愛いや」と同じく、高橋掬太郎。「酒は涙か溜息か」で名を挙げた高橋は一念発起し、勤めていた新聞社を辞め、コロムビアの専属になっていた。ヒットを求める気持ちは誰より強く、1934年の春、古関に取材旅行を持ちかけた。その行き先が、潮来だった。

「私にはすぐにメロディーが浮かんだ」

 潮来といえば、十二橋めぐり。古関たちも、船を雇い、娘船頭の竿さばきで、水郷地帯をくまなく見て回った。「私は初めての潮来でもあり、ことに十二橋をくぐるたびに小さな水路から突然船が出てきたりしたのには驚かされた。まだ、あやめの季節には早かったが、木々の新芽も美しく、純農村地帯、特に米産地として有名なこの地方の風物に何か引かれるものがあった」(古関裕而『鐘よ鳴り響け』)。

 現在、潮来に行くと、「加藤洲十二橋めぐり」と「前川十二橋めぐり」の2コースを選べるが、古関たちが経験したのは前者。船を雇い、常陸利根川を渡り、閘門を抜けると、往時のように、千葉県香取市の新左衛門川に架かる十二橋を見物できる。

加藤洲十二橋(2020年8月撮影)

 実に狭い水路で、小舟が行き交うのがやっと。両辺には民家が並び、小さな橋がいくつも渡されている。女性の船長が、かつては一枚板の簡素な橋だけで人々が行き交っていたと教えてくれた。