文春オンライン

連載サウナ人生、波乱万蒸。

もはやサウナという名のテーマパーク 熊本「湯らっくす」が西の聖地になった理由

もはやサウナという名のテーマパーク 熊本「湯らっくす」が西の聖地になった理由

「湯らっくす」社長・西生吉孝 #2

2020/12/26
note

喧嘩して出て行ったけど、父、姉が亡くなり……

 マッサージも全部直営にして、ニューヨークで流行っていたホットヨガも取り入れた。最初はどれもこれも新しすぎて駄目だったんですが、途中からどんどんヨガブームになってきて。それで福岡にヨガスタジオを立ち上げたら、そっちがどんどん軌道に乗って面白くなっちゃって、福岡から帰らなくなってしまったんです。ヨガが楽しかったのと、ヨガって基本、女の子しかいないんですよね。風呂屋っておじさんしか来ないでしょう。30代半ばくらいだったし、今でいうIT企業の社長みたいな感じのノリで。IT企業の社長でもなんでもないですけど(笑)。それでもう親父も怒っちゃって。『姉貴を湯らっくすに戻すから、お前はもういらない』って言われたんですよ。俺も売り言葉に買い言葉で『ヨガの経営だってうまくいってるから、俺だってやらないよ』って。結果、7年ぐらい離れました。

 そうこうしているうちに親父が死んで、経営状態も悪化していって。こっちは半ば喧嘩して出て行ってるし、戻る気はなかった。姉がどうにか頑張るだろうと思ってたし。そしたら姉もその1年後に亡くなっちゃいまして。それで後継ぐ人がいなくなっちゃったんですよ。でもおふくろが、『お父さんと2人で作った会社だから、このまま続けたい』と。それで姉貴から僕への遺書を渡されて。そしたら、そこには『とにかくお金のことは心配しないでいいから継いでほしい』と書いてあったんで。それ読んだら、なんかカッコ悪ぃな、俺って思って。自分の子供が大人になったときに、そんな父親ってどうなんだろうと。でも実はどこかで自分がやる予感みたいなものもあったんですよね。だからその前に福岡の店を湯らっくすに負けないぐらい大きくしとこうとしてた。おふくろの想いと姉の手紙といった色んなものに圧されて、また湯らっくすに戻ってきました。結局やるかやらないかじゃないですか。数字がいいとか悪いとかじゃなくて」

 常人離れした発想と先見の明、そして運。そこに経営者としての男気も兼ね備えた西生は、最強の経営者にトランスフォームしたかに思えた。しかし、そこに最大の災厄が降りかかる。熊本地震である。

ADVERTISEMENT

「2015年の12月に社長に戻って、4か月後に熊本地震が起きたんです。それで動かなくなっちゃったんです、うちの店。税理士さんとか家族とか、周りのみんなが心配しまして。社長になったはいいけど、さすがにこれは店をたたむんじゃないかって。でも僕は逆にそれがよかったと思ったんです。不謹慎かもしれませんけど、熊本が全国からここまで注目されることって後にも先にもないわけじゃないですか。こんな経験って生涯絶対ないと思って」

深さ171センチの水風呂はもはやアトラクション
ここも天然水かけ流し。なんという贅沢
ボタンを押せば冷水が脳天を直撃
ととのいスペースへの動線も完璧