地震によって改装の方向性が決まった
父と姉の死の悲しみを乗り越え、やっと社長になった地平にあったのは、理想郷ではなく追い打ちをかけるような震災だった。何もかも失ったかに見えた西生。しかしここから仲間のサポートを得たMADMAX西生による「怒りのデス・ロード」の幕が切って落とされる。
「復興ってどさくさ紛れになんかストーリーがあるじゃないですか。実際すごく大変な思いもしましたけど、逆にすごく吹っ切れまして。その時にウェルビーの米田さんとスカイスパの金さんがサウナカー(※注 車でけん引するサウナトレーラー)を持ってきてくれたんです、『これを使ってください』と言って。そのサウナカーが素晴らしくて。地震の時だから、不安もたくさんあったんですけど、あそこに入ると落ち着くんですよ。『ああ、こんなサウナがやりたい』と思って。それがうちのメディテーションサウナにつながるんです。彼らに勇気づけられて。親父もサウナ大好きだったし、やっぱり俺はサウナの人間だよな、サウナまたやろうって。改装の方向性は地震によって決まりました。
改装中からTwitterに全国からのすごい反響が
でもいざ改装しようと思ったらお金もすごくかかる。どうしたもんかと頭を悩ませていたら、実は姉が亡くなる前から生命保険に入っていたんです、がんになる前から。それでお金を遺してくれていたんです。だから姉の弔い合戦だという気持ちになって、がむしゃらになった。そしたら改装中から、Twitterに全国からすごい反響がくるんですよ。『湯らっくすっていう熊本の風呂屋がすげー改装してるぞ』って。正直、東京の人が反応するとは思いもしなかったです。そこからサウナ好きの人たちが反応し始めて。ほんとびっくりしましたね。
メディテーションサウナで一番重要視したのは呼吸なんですよね。呼吸するサウナ。当時は輻射熱が強いサウナが主流で。もちろんそれもいいんですけど、息苦しい。それとは発想を変えて、いかにストーブに一番いい空気吸わせて、入っている人間の呼吸もし易くしていくかっていう。そのためには空気が対流することが一番、ということを考えて。もちろんヨガの影響もあると思います」
悲しみは人もサウナも強くする。神戸サウナも阪神淡路大震災をバネに最高の施設へと見事に復活を遂げた。湯らっくすも震災をきっかけに、炭治郎よろしく“呼吸”を手に入れ最高のサウナ室を産み出した。しかし、これで満足する西生ではなかった。