松永は妻子とともに自社ビルの1階に住んでいたが、妻を事務所のある2階より上には上がらせなかった。また、妻に対しては複数の愛人がいることを公言しており、1986年になるとその“頂点”である緒方を、同ビルの3階に住まわせ、経理など事務の仕事をさせていた。私はかつて、88年頃に松永と愛人関係にあった女性を取材している。彼女が語った当時の松永については改めて記す。
従業員にとって緒方は“組長の姐さん”
1982年に結婚してから、妻に対して日常的に暴力を振るうようになっていた松永だが、それは緒方に対しても同じだった。その様子を目にしていた山形さんは、当時の状況を振り返る。
「ワールド時代には、松永は緒方に対しても暴力を振るっていました。たいていは緒方にやっておけと命じたことを彼女がやっていなかったために振るわれた暴力です。さすがにデンキはありませんでしたが、殴る蹴るということはあり、顔に青あざを作っていたことも何度かあります。
ただ、それでも松永についていっていたわけですから、緒方は松永に対して愛情があるのだろうな、と思っていました。逆に松永が緒方に対して愛情を持っていたかどうかはわかりません。ただ、彼女は我々にとってはまちがいなく“組長の姐さん”で、経理や金融機関への交渉などはすべて彼女がやっていました」
空手チョップでのどがつぶれ、今でもしゃがれた声の緒方
公判での緒方弁護団による最終弁論のなかで、緒方が松永から受けた暴力で生じた傷について触れている。
〈緒方は、のどへの空手チョップを受け続けたことで、のどがつぶれ、今でもしゃがれた声しか出せない。また、太ももに踵落としを受けたときに、足がパンパンに腫れ上がり、その後、正座をさせられて上から押し付けられたため、筋肉が切れたのか今も太ももの肉がえぐれたようにへこんでいる。更に、バットで腕を殴られた痕も、今もあざとして残っている。バットで背中を思いっきり殴られたときか腹に膝蹴りをうけたことが原因で膵臓の膵管が折れたこともあった。松永の妻や子供の前で殴る蹴る引きずりまわすという暴行を加えられ、その挙句には、マヨネーズを台所の床に搾り出し「掃除しなくていいくらいきれいになめろ」と命じられたりもした。食事制限、睡眠時間の制限など日常生活への制限も他の従業員と同じようになされたため、緒方の体重は30キロ台に落ち、やせ細っていたのである〉