見合い相手の日高隆也さん(仮名)は、59年生まれで智恵子さんよりも5歳年上。地元の高校を卒業後、千葉県警の警察官を経て、そのときは久留米市の農協職員をやっていた。当時、歯科衛生士の仕事をしていた智恵子さんには交際相手がいたことから、見合いには抵抗があったようだが、父・孝さんの弟らに説得され、渋々と受け入れた末の結婚だった。
「家を滅茶苦茶にしてやるけん」と言われた智恵子さん
智恵子さんと小学校から高校まで同級生だったH子さんは、当時の私の取材に次のように話している。
「智恵子は正義感が強くてしゃきしゃきしているタイプ。曲がったことの嫌いな子でした。緒方家は厳しい家で、智恵子が高校時代に外泊しただけで、親は誰かに監禁されたかもしれんって疑ったり、あと、お父さんがすごく厳しかったんで、朝から怒鳴り声が聞こえたりもしていました。
隆也さんとの見合いの話になったときも、智恵子は『純子が家を出たから、養子を取らなきゃいけなくなった』と愚痴っていて、結婚式の前の日には結婚するのが嫌だと泣いていました。もともとお姉ちゃん(緒方)はいい人で、昔はトランプ占いとかをしてくれてたんですけど、やっぱり家が厳しいから息が詰まったんでしょうね。
智恵子はお姉ちゃんが『チンピラみたいなのとくっついてる』と話していて、その男(松永)が、『お父さんに投資話を持ち掛けてた』と嫌そうにしていました。それから、お姉ちゃんが智恵子に直接『(緒方の)家を滅茶苦茶にしてやるけん』と言っていたとも聞いてます」
緒方家の財産に対する松永の異様な執念
智恵子さんが婿を取るかたちで隆也さんと結婚することを、緒方は事前に知らされておらず、結婚式にも出席していない。後にこのことを知った松永は、緒方を使って緒方家の財産を奪う計画に邪魔が入ったと感じたようで、妨害を画策していた。後の公判での検察側の論告書には以下のように記されている。
〈緒方家では、長女の緒方が家を出たことに伴い、昭和61年(86年)7月7日、二女である智恵子の婿養子として日高隆也を迎え入れたが、これに対し、松永は、緒方に命じて、緒方家の財産目当ての縁談なのだろうと隆也らに因縁をつけさせたり、被告人両名がそれぞれ智恵子の以前の交際相手の男性に架電し、智恵子と駆け落ちするように唆すなどして、その縁談を妨害した〉
さらにこの論告書では、次の言葉をもって、小括としていた。
〈そして、緒方家の財産に対する松永の異様な執念はその後も衰えず、平成9年(97年)には、ついにその野望が達成され、それが緒方一家に対する連続殺人事件を引き起こす要因の一つとなって行くのである〉
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この凶悪事件をめぐる連載(一部公開終了した記事を含む)は、発覚の2日後から20年にわたって取材を続けてきたノンフィクションライターの小野一光氏による『完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件』(文藝春秋)に収められています。