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2020年の言葉

藤井聡太二冠 “伝説”の封じ手「同飛車成」を対局相手はどう見ていたのか

将棋ソフト時代において、「妙手」の定義が変わったかもしれない

2020/12/29

「将棋は最後に悪手を指したほうが負ける」

 そもそも将棋は運の要素がない完全情報ゲームであるため、理論上はどのような局面を切り取っても「先手勝ち」「後手勝ち」「引き分け」といういずれかの結論があるはずなのだ。お互いに最善を積み重ねていけばその結論に行きつくし、途中で悪手があれば勝敗が入れ替わる。そうなると、うまい手が生まれるためには、その前に悪手がなければいけないことになる。

 もちろん、人間の力で生じ得るすべての局面を頭に入れて最善手を指し続けることなど不可能だ。「将棋は最後に悪手を指したほうが負けるものである」と言ったのは大山康晴十五世名人だが、その悪手を的確に咎め、かつその的確な咎め方が並みの人間には見えにくい順であることが、これまでの将棋史上で生まれてきた妙手であると言えるのではないだろうか。

対局2日目、立会人の中田功八段によって封じ手が開封された ©️相崎修司

 一つの例を挙げると、1992年の第5期竜王戦七番勝負第1局、▲羽生善治二冠―△谷川浩司竜王戦(段位はいずれも当時)は、最終盤で谷川の妙手順が炸裂した一局だと言われている(将棋史上5本の指に入ると筆者は思っている)。

 この一局はNHKの衛星放送でも中継されていたが、解説の棋士にはその妙手順の真意が指された直後ですら読み切れていなかった。当時の観戦記などを読んでも、控室の誰もがまったく気づいていなかった順だったと想像される。

 衛星中継を見ていた将棋ファンは、結論不明のスリリングな最終盤に一喜一憂していたのではないだろうか。

使用した駒の駒箱に裏書きする木村一基王位 ©️相崎修司

なぜ「意外でも何でもない手」が「伝説の妙手」に?

 ところが、将棋ソフトの発展により、現在の視聴者は「どこで悪手が現れたか」がわかっているし、それを咎める最善手も(あるいは対局者より前に)知ってしまう。であるからこそ、前述のような妙手は生まれにくい。「誰もが思いつかない」ことがまずないからだ。

 あるいは一般には公開されていない対局でそのような順が生じることはあるだろうが、大舞台とは言えない対局で生まれた妙手が歴史的なものになるとも考えにくい。

 木村ー藤井戦に話を戻すと、木村は△8七同飛成についてどのように考えていたのか。それが冒頭の一文である。観戦記で紹介した全文は以下の通り。

「△8七同飛成は△2六飛との2択ですが、考えているようなのでこちらを選択するような気がしていました。この手は意外でも何でもないです」

実際の封じ手。3通あるうちの1つはチャリティオークションに出品され、1500万円で落札された 提供:日本将棋連盟

 つまり、木村は指される前から藤井の着手が見えていたのだ。実際、この手を境に形勢が動いたというわけではない。将棋ソフトの指し示す評価値も均衡を保っていた。何人かのプロ棋士に話を聞いたが「事実上の二択だから、選んでも不思議ではない」という意見が多数を占めていた。

 では「意外でも何でもない手」がなぜ「伝説の妙手」と騒がれたのだろう。プロには(そして将棋ソフトにも)一目の手でも、将棋ファンの心を打つ着手が妙手であるとは言えるかもしれない。藤井の△8七同飛成は、妙手の定義を変える一着となったか。

 そして、将棋ファンの心を打つ指し手を指すには、そこに至るまでの構想力が必要とされる。その構想力が「藤井将棋には華がある」と言われる所以だろう。

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