今、女性芸人の世界が揺れている。女性芸人といえば、当たり前のように「ブス」「デブ」「非モテ」をいじられ、そこで強烈なインパクトを残すことが成功への足がかりとされてきた。
しかし、持って生まれた容姿や未婚か既婚かどうかの社会属性などを「笑う」ことに対して、今世間は「NO」という意思表示をし始めている。「個人としての感覚」と「テレビが求めるもの」、そして「社会の流れ」。3つの評価軸の中に揉まれながら、女性芸人たちは新たな「面白さ」を探し始めている。
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「全国のモノマネ女子の頂点に立つ女」とは、「2億4千万のものまねメドレー選手権」に出場した時のキャッチフレーズ。休み時間に加藤茶のモノマネではしゃぐ男子たち、それを教室の片隅で「私ならもっと上手にできるのに」とほぞを噛む思いで見つめていた少女は、今武道館でその積年の思いを成就させる。
誰も気づかなかった視点、モノマネに「意地悪」の概念を持ち込んだ清水ミチコ。エンターテイメントの世界に独自の立ち位置を築いた清水ミチコが、タモリ、『夢で逢えたら』……その原点を語る。(全3回中の1回/2回目を読む)
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伝説の番組『夢で遭えたら』では挫折感が
——それまでのお笑いの図式が変わっていった90年代、その先鞭をつけたのが『夢で逢えたら』だったんじゃないでしょうか。当時清水さんはおいくつでしたか?
清水 28~29でしたね。『笑っていいとも!』からテレビデビューして、その翌々年に『夢で逢えたら』が決まって。それまでは相手はタモリさんだし、年上だし、ちょっとチヤホヤというか、自分のことを立ててくれていたんだというのがやっと分かりましたね。
だって『夢で逢えたら』に行ったら全然、平場なんですもん。「こんなこと言われるかね」とか「こんなに自分はできないかね」とか、そういうことをすごい知った。本当にそれはショックでしたね。
——どういう部分がショックだったんですか。
清水 用意したネタをライブでやるのは得意だったんですけど、パッといきなり6人集まって急にしゃべりなさいって言われた時に、何も言葉が出てこないことに自分でもビックリしてました。ものすごく落ち込んだし、とにかくみんなの足手まといになっちゃいけないと思って。
それはなんというか、クラスの中では一番面白いと思っていた子どもが「あれっ、やっぱりクラス止まりだったんだ……」と知る、そういう傷は、ずっと強かったですね。
——オリンピックに出たら大したことなかったみたいな感じですか。
清水 そうそう。だから、そういうドキュメンタリー見るのすごい好き。「分かるわ~」ってなるから(笑)。
——視聴者側としては、『夢で逢えたら』はすごくオシャレで、そのオシャレの中心に清水ミチコさんがいて、ピアノも弾けて、面白くて、やんちゃな出演者たちをまとめていると思ってました。
清水 いえいえ、全然。やっぱり邪魔……邪魔とまでは行かないし、みんなも引き立ててくれるんですけど、ちょっと年代もみんなより上だし。私が発言するとスコーンと落ちちゃう。