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特集女芸人の今

2021/01/15

——どういうところに魅力を感じるわけですか?

清水 自分にないものを持っているので、ああいうふうになりたいという気持ちがある。で、なってみるとやっぱり気持ちがよくって止められない(笑)。

——自分にないものを持ってる人に惹かれる。

清水 モノマネ芸人って、あんまり自分自身に「核」がない人のほうがうまくいってたりする。松村(邦洋)さんとかそうだけど。自分の人生はあやふやなのに、人の人生にうらやましがってモノマネでのめりこめる。松村さんすごくたけしさんになりたがるんですよ。

 

——清水さんがモノマネされる時も、憑依させる感じですか?

清水 ほんとはそんなこと思ってないけど(笑)。ライブでは冗談で「ちょっと今、憑依しますんで」みたいなことを言うんですけど。矢野顕子さんのことがすごく好きだったので、矢野さんになってる時は本当に気持ちがよくて、全然笑わせようという気持ちもない。ただ聴きなさい、っていう気持ちですね。

——実際に芸人になるきっかけは?

清水 その、タモリさんの作家だった高平さんに「弟子にしてください」とファンレターを書いたんですけど、返事は来なかったです。そういう道は難しいんだなと思っていたところに、アルバイト先の親戚の方がラジオの番組を持っていて、クニ河内さんというMCの相手役を探しているということで、紹介してもらいました。そこからライブやテレビに出るようになったという感じです。

タモリさんの意思を勝手に継ぎました(笑)

——いきなりラジオでしゃべる仕事ってすごい。

清水 でも、その後は自分で渋谷のジァン・ジァンというライブハウスに応募したりしましたよ。で、そこにフジテレビの人が見に来てくれて、誘ってくれたというのはありました。

 

——作家の仕事より出演する楽しさを見つけたのでしょうか。

清水 そうですね。出るうちに「全然楽しい」と思ってきて。

——ご自身は「芸人」というカテゴリーにいるという意識はありましたか?

清水 その頃は「女性芸人」という言葉もなかったですからね。あんまり意識はしてなかったですけど。ピアノを使って何かやるとか、モノマネをするとか、コントをやるとか、そういうことはすごいしたいと思ったし、ライブをやった時に、間違いなく「これだ」と感じました。ただあの20歳の時に見たタモリさんのコンサートみたいなことがやりたいという一心で。

 でもタモリさん自身が音楽活動をすぐやめられて、テレビの司会のほうに行かれたので「よし、これは私がやろう」って。

——なるほど。意思を継いでいる。

清水 勝手に継ぎました(笑)。