テレビ芸が、自分にはなかった
——その流れから『夢で逢えたら』に。コントの世界に入られた。
清水 そうですね。ビックリしました。台本があるので、それを覚えてやればいいんだなって思っていたら、全然そうじゃなかった。そこからアドリブの世界に入っていくんです。みんなこんな丁丁発止でやってるんだと思って、ビックリしましたね。
——台本は流れしかないんですね……。
清水 数行流れが書いてあって、そこからどういうふうに面白くしていくかを考えるんです。構成作家が1週間かけて書いた台本をその通りにやるんじゃなくて、シンプルなものをその日に面白くしていくという職人たちの集まりだった。
——怖い……。
清水 怖かったですね。ほんとに。その期間はずっと元気がなかったです(笑)。今まで「クラスで面白かった」というのは、授業中ちょこっとふざけて、先生からの「コラ」ってツッコミがあって成立していたんだけど、プロは「どうぞ2時間思いっきりふざけてください」って言われるわけです。それどうしていいのか全く思いつかない。
ただ自由に裸でやりなさいと言われたら「そんなやりたいと思ったことないですよ」みたいな(笑)。しょんぼりしました。
——自由にやりなさいと言われると、縮こまってしまう。
清水 一見その自由さにあこがれていたはずなのに、実は全然なかったんだとわかってしまって。テレビ芸が、自分にはなかった。
——テレビ芸というのは……。
清水 何かに対して瞬時に返したりとか。あと、みんなと一つになる、丁丁発止でやっていくみたいなことですね。私卓球部だったし……(笑)。
——卓球部(笑) 。
清水 根っからの個人芸で。個人の世界ばっかりやってて。
——チームプレーは苦手ですか。
清水 そうなんです。チームになると、みんなからちょっと「どいてくれ」って感じになる。いまだにちょっとそれを感じて、かわいそう(笑)。
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写真=榎本麻美/文藝春秋