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一度は事務所を辞めて海外のべーカリーで「パンを焼いていた」24歳元アイドルが活動再開で最も苦労したこと

元さくら学院武藤彩未さんインタビュー#2――アイドル戦国時代を振り返る

2021/01/09
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「さくら学院の時はメンバーに助けられていたんだな」

――ステージに立って、グループとの違いは感じましたか?

武藤 まったく違って。さくら学院の時はメンバーに助けられていたんだなと実感しました。10人でやっていたのが1人になると、ステージを広く使える分、体力の使い方も変わってくるんです。だから、ソロになってからランニングをはじめました。長い時で1日10キロくらい走って、足を痛めたこともあるんです(笑)。

――1度ハマるとやりすぎてしまうタイプなんですね。

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武藤 そうなんですよ(笑)。逆に飽きるのも早いんですけど、ランニングはいまも趣味として続けています。

――当時、ソロで赤坂ブリッツといった1000人規模のライブハウスを埋めていたのはすごいなと思いました。

武藤 またブリッツに立ちたかったけど、なくなってしまいましたよね(20年9月にライブハウスとしての営業を終了)。でも、渋谷公会堂をはじめとして戻りたい場所はいくつもあるので頑張りたいです。

 

「与えていただいたことに対して、全力で応えることがすべてだった」

――ライブの演出など、武藤さんから「こうしたい」と提案することもあったんですか?

武藤 私から意見することはなかったです。当日、会場に入って「こんなセットなんだ!」となることも多かったので。良くも悪くも作られたアイドルというか、素晴らしい演出やセットを用意していただいて、すごくありがたい環境だったけど、私の中でもやりたいことが生まれてくると、自分から意見が言えないもどかしさに葛藤を抱えるようになって……。そんな環境に窮屈さを感じたことも、16年に海外留学した理由のひとつでした。

――僕から見ると、すべてを完璧にこなすソロアイドルというイメージがあったのですが。

武藤 いやぁ~、そんなイメージありました? そう思ってる方がいるなんて知りませんでした(笑)。当時は言われたことをやるのに必死で……でも、出来てると思われていたらうれしいです。グループからソロになって、最初は自分をどう表現すればいいのかわからなくて。当時は与えていただいたことに対して、全力で応えることがすべてだったんです。経験を重ねていくうちに表現者としての欲求が生まれてきたんですけど、頭の中で「こうしたい」と思っても当時の自分は意見できるほどの説得力がなくて。

「頑張り過ぎて…」

――80年代のような「完璧なアイドル」になるために頑張っていたのかなと思いました。

武藤 それもそうで、「聖子ちゃんみたいにならなきゃ!」と少しでも近づけるようにやってきたんですけど、やっぱり自分の色も大事じゃないですか。表現者として自分の色を出していかなきゃいけないなと気づいたんです。

――生活も律しなきゃいけないというのはありましたか?

武藤 いや、好きなことは全然やっていたし、「これはやっちゃダメ」と言われることもなかったんです。ただ、当時は言われたことをやるのに必死で、頑張り過ぎて爆発したこともありました。