なぜなら往年の下川島は、かつての三重県の渡鹿野島をしのぐ、アジア最大規模の売春島だったためだ。最盛期はひとつの島のなかに2000人以上のセックスワーカーの女性がひしめき、島に来た男性たちがそんな女性たちをオール・ヌードではべらせて海で泳ぐなど、外界から隔絶された島にふさわしいメチャクチャな遊びがおこなわれていたとされる。
下川島について、香港・台湾などのメディアにおけるあだ名は「荒淫島(ホアンインダオ[荒淫の島])」。その地名は日本においてすら、一部のマニアの間では有名だった。
スケベ台湾人のパラダイス
初期の下川島を開拓したのは台湾人だった。1990年代の後半からは、企業家や駐在員など中国大陸に居住する台湾人(台商[タイシャン])の来島者だけではなく、セックスワーカーの女性だけを目的に、わざわざ台湾から島にやってくる人が増えはじめたのである。
2001年には、センセーショナルな報道内容で定評がある香港系週刊誌『壹週刊』台湾版の第10号が、「大陸直撃台湾男人蜂擁荒淫島(中国大陸で直撃! 台湾人男性が殺到する『荒淫の島』)」と題して、年間で延べ10万人近くの台湾人買春客で賑わっていた下川島のカオスな状況をレポートしている。同誌の記者が身元を隠す形で、いち参加客として台湾から下川島行きの買春ツアーに紛れ込んだのだ。
買春ツアー団たちの様子
以下、記事の一部を翻訳して引用してみよう。まずは台湾の中正国際空港(現・桃園国際空港)にやってきた、買春ツアー団たちの様子である。
すでに2度、下川島4泊5日ツアーに参加しているという鄭は、やってくるやいなやガイドと場慣れした様子で談笑しはじめた。私たちのようなビギナーを見て、38歳の鄭は得意げな様子を隠さずに言った。
「下川島へは今年で3回目の出撃だぜ。前回は3日間遊びに行って21回ヤッてやった。今回は記録更新を狙うぜ」
みんな、それを聞いて笑う。買春男たちがお互いに仲良くなるのは、じつにあっという間なのである。
談笑するうちにツアーの他の参加者も続々とやってきた。70歳になろうかという老人が遠くのほうに姿を見せて、ガイドに向けて手を振って挨拶した。「おいおい、あんなジイさんが参加するなんてマジか? 死なないか?」。心のなかで叫んだ私の訝しげな表情を見て、ガイドが「70歳から始まる人生だってあるのさ」と私の肩を叩いて言った。
当時、台湾には30以上の下川島ツアー専門の旅行会社が存在し、ツアー参加者だけで毎日300人以上、さらに個人旅行で毎日数十人もの台湾人男性が島に上陸していた。島内の観光収入の7割を台湾人が占めるに至っていたともいう。一昔前に日本人男性が大挙してタイやフィリピンへ買春ツアーに向かっていたのと、あまり変わらない行為を台湾人男性もやっていたわけである。