総面積100平方キロメートル弱、人口約2万人、そのうち性産業に従事する女性が2,000人……。アジア最大規模の“売春島”として名をはせた島が、かつて中国に存在した。中国は計画生育政策(いわゆる「一人っ子政策」)のもとで生殖をはじめとした人民のプライベートな部分まで規制することを望み、また言論統制のなかでポルノコンテンツの発表も限られる。そんな国で、なぜこのような島が誕生し、発展したのだろうか。

 中国をメインテーマに硬軟とりまぜた執筆活動を行うルポライターの安田峰俊氏の著書『性と欲望の中国』を引用し、アジア最大規模の“売春島”の様子、そして実際に行われていた衝撃のやり取りを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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荒淫島

 ──監獄島に流人島、海賊島。

 人類の歴史上、海や湖に浮かぶ島は、収容所がわりに使われたり、閉鎖的な環境を利用してイリーガルな活動や反乱の拠点にされたり、半独立国のような怪しげな社会を形成したりする例が多かった。

 陸地から離れた場所にある島は、外部に脱出できるルートが事実上は船しかない。なのでひとたび島内に入ってしまった人は、自由に外へ出られない。逆に陸地から官憲が取り締まりにやって来ても、彼らが上陸するまでのタイムラグを利用して、見られるとまずいものを隠したり、海上に逃げたりすることも容易である。

 日本でも過去、明治時代に民間の製糖会社が沖縄県の離島(大東諸島)を所有し、島内で独自の紙幣を発行して出稼ぎ労働者を土地に縛り付け、独裁統治を敷いた事例がある。また、三重県志摩市の海上にある渡鹿野(わたかの)島は、停泊する長距離船の乗船者向けの夜伽(よとぎ)の島として江戸時代から知られており、戦後の高度成長期にはヤクザが仕切る売春島として名を馳せた(現在は衰退が著しいという)。イギリスでも、グレートブリテン島南東部の海上にある英国海軍の遺棄構造物に勝手に移住した元軍人が1967年に「国家独立」を宣言し、シーランド公国という自家製の国家モドキを作った例がある。

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 いっぽう中国の場合、怪しげな島が多いのは浙江省以南の華南沿岸部だった。この地域は福建省沿岸を中心にリアス式海岸が続き、しかも首都の北京から遠く離れているため、歴史上しばしば倭寇や海賊の拠点になったのだ。17世紀に清朝に反抗した鄭成功(ていせいこう)の勢力や、1949年に国共内戦に敗れた後の中華民国政権が、この地域の島嶼部を長期間にわたり大陸反抗の拠点にした(中華民国の場合、福建省の馬祖島・金門島付近の島嶼を現在まで大陸側領土として維持している)のも、それだけ介入が困難な土地だったからである。

 これは中華人民共和国の建国後も同様だ。たとえば1990年代の福建省北東部の福清市は対日密航が盛んだったが、密航用のコンテナ船はこうした海岸の半島先端部や島嶼部から出航していたとされる。また、銃や麻薬・その他の禁制品(ワシントン条約で禁じられた絶滅危惧動物など)の密輸にも、官憲の介入を招きにくい福建省や広東省の島嶼部がしばしば活用されていた。

 そんなアナーキーな華南の島嶼部のなかでも、とくに有名な怪しい島がある。

 広東省西部の海上に位置する「下川島(シャーチュワンダオ)」である。