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「借金、まだ15万円残ってる」

 給料は日当8500円。寮費と光熱費、税金を引くと手元には月10万円も残らない。そこから母国で出発するときに背負った90万円の借金の返済を続けたが、ついに音を上げた。薄給よりも、暴力と暴言に耐えられなかった。仲間たちと逃げ出し、それからは工事現場、工場、除雪など、モグリで雇ってくれる仕事を転々。友達の家に居候しながら借金を返し続けたが、そこにコロナ禍が直撃した。仕事は減り、いよいよお金も尽きて、大恩寺に転がり込んだ。いまはベトナムに帰るためチャーター便の空きを待っている。

「借金、まだ15万円残ってる」

 と苦笑いするホアさんはきっと、日本人である僕に対しては含むところもあっただろうが、それでも彼は「お茶のおかわりいるか」「寒くないか」「スマホのバッテリー大丈夫か」と、それが仕事とはいえ親身に世話を焼いてくれる。それはほかの逃亡実習生も同じで、ベトナム人の中にひとり紛れ込んだ僕をやたらに気にかけてくれるのだ。

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参拝客のために磬子を鳴らすのもホアさんの仕事 ©室橋裕和

「日本人ひとりで、寂しくないですか」

 と声をかけてくれたのは、ファム・スァン・トァイさん(25)だ。やっぱり搾取と暴力に晒されて、埼玉県で鉄筋工として働いていた。ことあるごとに「ベトナムに帰しちまうぞ」と脅してきた社長は、トァイさんが実際に逃亡すると「とりあえず戻ってきなさい」となだめてきたが、その連絡には応えず大恩寺で暮らしている。

 しかし、その話しぶりはどこかあっけらかんとしている。お寺にいる誰もがそれぞれきつい事情を抱えているはずなのに、明るさがある。そこに日本人としては少し救われる。だが、見た目の陽気さだけではわからないのが東南アジアだ。苦しさを笑顔で押し隠す人々でもあるのだ。

大晦日の晩餐「みんなショージンリョーリです」

「ご飯です、みんなで食べましょう」

夕食はビュッフェか給食のようにみんなで食べる。マスク、換気、消毒は忘れない

 ホアさんに呼ばれて、本堂の下に建てられている倉庫というかガレージのような広い場所に行ってみれば、すでに何品かの料理が並べられていた。給食かビュッフェのようだ。

 この日のメニューは野菜サラダ、小松菜とニンニクの炒め物、ベトナム風の揚げ春巻き、ベトナム風のスープと、なかなか豊富だ。

大晦日のメニュー。ベトナム風揚げ春巻き(中央下)がおいしかった ©室橋裕和

「みんなショージンリョーリです」

 お寺なので、肉を使っていないのだ。食材はベトナム人コミュニティだけでなく、日本のNPOなどからさまざまな支援の手があるが、なにせ40人以上の人間が食べていくのはやはり大変だ。光熱費も高額になるばかり。しかし逃亡実習生には無一文の人も多いため、彼らに対して駆け込み寺は無償で運営され続けている。そんな場にお邪魔させてもらうにあたり、僕もベトナム人の愛するインスタント麺ハオハオと、ホッカイロを差し入れさせていただいた。

 金銭的な負担は大きくなるばかりだが、それでも食後チーさんは笑顔でみんなに訓辞を垂れる。

日本、ベトナムの支援団体や個人、自治体などからの援助もあるが、運営は厳しい ©室橋裕和

「今夜から3が日にかけて参拝のお客さまがたくさん来ます。食事や接客、クルマの誘導、掃除や本堂の案内など、各班に分かれて各リーダーのもとで働いてください」

 こうしてひとりひとりに役割を与えるというのが、たぶん大事なんだろう。なんだかチーさんは先生で、ここは学校のようでもあると思った。