暴力やセクハラから逃げてきた実習生たちの思い
食後、ホアさんは敷地の一角で火の番をしていた。大きなドラム缶を火にくべていて、なかなかワイルドだ。
「これ、ベトナムのお菓子。いまつくっています」
ドラム缶のフタを開けて見せてくれた。大きな葉っぱに包まれた緑色のモチのようなものが幾重にも重ねられ、蒸されている。ベトナム風のちまきだという。
「新しい年、お祝い」
縁起物なのだろう。火に当たりに来た別の実習生たちも加わり、
「葉っぱはベトナムから送ってもらった」「できるまで10時間かかる」なんて話していると、威勢のいい女子が現れてダベっている男どもを叱り飛ばす。なにやらてきぱきと指示をすると、台所のほうへと戻っていった。
「ちゃんと働け、やることやったのかって怒られた」
ホアさんたち男子はちょっと嬉しそうだ。このあたりもどこか学校のようだが、彼女は留学生なのだという。大恩寺にはコロナ禍のためにアルバイトや仕送りが減り留学生活が送れなくなった人や、留学を終えたものの入国制限や飛行機の減便、高額化で帰るに帰れない人も身を寄せている。
そんな留学生や実習生と一緒に焚火を囲んでいると、ホアさんがぽつぽつと語りだした。
「ベトナムでは、学校の教師でした。10年生から12年生まで(日本の高校に相当)に英語を教えていました。でも両親と、弟と妹、家族の生活を考えて、もっと稼げる仕事に就きたいと思って」
元教師という経歴の実習生は珍しいかもしれない。それが不慣れな異国で、不慣れな肉体労働に従事し、しばらくがんばったが逃げ出してしまった。手持ちの現金はほとんどない。スマホを持ってはいるが、通信費は払えず、お寺のWi-Fiに頼っている。家族には苦境を伝えていない。元気でやってるとだけ、フェイスブック越しに話している。
焚火に当たりながらそんな話を聞いていたほかの実習生たちも、身の上を語りはじめた。僕にもわかるよう、片言ながらも日本語を使ってくれる。男性はほとんどが建設業界で働いていた人たちだった。逃亡理由はみんな「暴力」だ。
「ゲンバ、コワイネ~」
「よく言われた、『オイ、ガイジン! ハヤクシロ!』って」
その言葉にみんな思い当たるのか、けらけらと笑うのだが、僕としてはなかなかに肩身が狭い。