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悪口辞典

「実はボク、お客さまに言われた悪口をコレクションしてるんです。いつか自分だけの『悪口辞典』が作れるといいな~と思って」

 M井さんはにっこりと笑うと、ピンク色のB5サイズのノートを出してきた。その中には、日付と、お客さまに言われた悪口や罵詈雑言がぎっしりと記録されていた。

 ○月×日:「大丈夫じゃねぇよ馬鹿! お前のとこがチョンボってんだろ!! ふざけんじゃねぇ!!」と言われる。

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 △月□日:「お前、何様やと思ってんねんクソが。はよせー弁護士に持って行くぞ、こらーアホ。あんたアホやから理解できないんやろ」と言われる。

(ひ、ひーー)

「ノートをつけ始めてから1年半位なんですけど、まだこれしか集まってないんですよね。最近じゃお客さまにひどいこと言われると、『やった! これでまたノートに書ける!』って嬉しくなっちゃうんですよ」

 思わず「エグイ……」と唸ってしまうような、人格を否定する言葉。それがギッシリ書き込まれたノートはすでに半分以上が埋まっている。でも、ノートの内容に反してM井さんはニコニコと満面の笑みでそのノートを見つめている。

©iStock.com

「もしこのノートが悪口で1冊埋まったら、それはそれはすごい贅沢をしようって計画してます。だからもう悪口は、ボクにとってご褒美なんですぅ!」

「す、すごいですねぇ……」

 私は、彼とノートを交互に見やった。たしかに、悪口を悪口として認識しなければ、心にダメージを負うことはないのかも。これはビックリ、なんという斬新な「ストレスマネジメント」なんだ……!

怒鳴られることが待ち遠しい!

 そこで私も、さっそく自分だけの「悪口コレクション」を作ってみることにした。

 お客さまに1回怒鳴られると1ポイントとしてカウントし、10ポイント溜まるとお菓子を買ったりジュースを買ったり、小さなご褒美を自分に与える。

 M井さんは悪口をノートに記録していたが、私はPCのエクセルを使って集計してみることにした。

 そして怒鳴られたり悪口を言われたりするごとに、棒グラフが伸びていく仕様にしてみた。ポイントを入力するたびに棒グラフがどんどん伸びていく様子を見るのは、なんだか楽しい。不思議な達成感がある。

(こ、これはちょっと、M井さんの気持ちがわかっちゃうかも……)

 私も次第に電話で怒鳴られることが待ち遠しくなってきた。そしてとうとう、

「あ~あ、あと1回で10ポイント達成なのに、昨日も今日も全然怒鳴られなかったなあ……」

 なんて、お客さまに怒られなかったことをガッカリする始末。悪口コレクションの効果はすごいかも。ふと、横を見るとM井さんが今日も本当に嬉しそうにクレームの電話を受けていた。M井さんのノートが完成する日もそう遠くないかもしれない。