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連載近田春夫の考えるヒット

2021/01/31

大晦日のイベント慣習は'73年の内田裕也主催のコンサートから

 記憶に間違いがなければ、大晦日の夜の街に若者が刺激を求め繰り出すようになったのは、'73年に内田裕也が西武劇場(のちのPARCO劇場)で主催したフラッシュコンサート(のちのニューイヤーロックフェスティバル)がきっかけだった。

インタビューに答える内田裕也(1974年) ©️共同通信

 謳い文句はたしか「紅白歌合戦をぶっ飛ばせ」だったかと思う。当時はこうした企画自体がそもそも“反社会的(アンチ)”だったのである(笑)。

 その成功を受けて以来、さまざまなカウントダウンのイベントが大晦日には繰り広げられるようになっていった。

 そんな訳で、思えばその年からこっち、商売柄、大晦日の夜を家でちゃんと過ごすことはあまりなかった。すなわち紅白歌合戦をリアルタイムで観た思い出は殆どない。

異例の紅白歌合戦は“高得点的歌い上げ”に見えた

 なので、今回の紅白が異例のものであることぐらいは承知をしているが、通常と比べてどうだったかといった話題は無理である。その点はご勘弁/ご理解頂きたい。

 途中までしか“ちゃんと”は観ていなかったことも正直に告白しておくが、観た限りを前提での率直な感想を申し上げれば、とにかく皆さんすげーリキ入ってたなぁと。しかもその方向性が一緒というか均質で、よく番組でカラオケの点数を競い合うヤツがあるじゃないさ。まさにあの基準での“高得点的歌い上げ”とでも説明すればよいか。すなわち出演者たちにとって、楽曲内容をどう表現/解釈してみせるかより、主眼はフィジカルなパラメータでの競い合い……? 私にはそんな大会にも映ったのだった。

LiSAは紅白で「鬼滅の刃」メドレーを歌った(写真は「炎」ジャケット)

 その“競技”で1位が誰だったかはさすがに実力伯仲、明言は避けたいと思うが、伊達に’20年レコード大賞に輝いた歌手ではなかった。述べてきた意味/ベクトルに於いて一つの到達点がLiSAの歌唱スタイルによくみられたことは、個人的感想としてここに記しておきたい。

 そんなこんなで、歌手はもとより司会陣にしても、趣や味わいを堪能する暇のあらばこそ、つい気合いや頑張りの方に目がいく番組フォーマットではあったが、そうしたハイテンションの応酬の連続でも、ふっと息を抜くことの出来る場面のなかった訳ではない。