川上監督に、
「あと1年、監督をお願いします」
と頭をさげた10月9日の夜、実はぼくにはそんな考えもあったのである。自分勝手な頼みではない。巨人のため、そして大それたことをいわせてもらえば、プロ野球全体のためにも、これくらいのささやかなわがままはいいだろう。
監督は、ぼくのそんな気持ちを見抜いたのかどうか、不意に思いもかけなかった厳しいことばをぼくに浴びせた。
「長嶋、バットマンとしてあと1年やるというけど、キミはもう3割は打てんぞ」
「…………」
「いいか。いまのキミと同じ道を歩いてきたオレにはよくわかる。もう3割は打てん。ムリだな。いまの腰を引く打ち方じゃ、3割はムリだ。若いころのキミに、徹底的にこの弱点を直してやらなかったのは、オレの失敗だ。いまからじゃ、もう直らん。だから長嶋、悪いことはいわん。いまが引きぎわだぞ。どうもがいても、キミに3割は打てん」
これまでにも、何度か満座のなかで叱責された覚えはある。しかし、このときほど厳しいことをいわれたのは、これが初めてだった。
ぼくは、自分の肩が小刻みにふるえているのがわかった。
耳にこびりついた川上監督の言葉
翌日。
ぼくは、まっすぐ前をにらみつけて、後楽園のロッカールームにはいっていった。だれとも、ひとことも口をきかなかった。
きのうの川上監督のひとことひとことが、耳もとにこびりついている。
――どうもがいても打てんぞ――
――いまからじゃ、もう直らん――
よし、打ってやる! とぼくは誓った。あれだけいわれて引っこんでいたら、男じゃない。どうしても打たなくてはならない。
スタンドは、早くから詰めかけた人、人、人でぎっしりと埋まっていた。
よかったな、というように笑っていた目
広島に連勝して帰京したあとのこの日の阪神戦。ここで勝てば、まず優勝はまちがいなかった。
阪神の先発は、ぼくが一番ニガ手とする下手投げの上田(二朗)だった。地面を這うように伸びてきて、ホームプレートの上で浮きあがる彼のボール。このタイプは、どうにも打ちづらい。
しかし、そんなニガ手意識は打席にはいった瞬間、どこかへ吹っ飛んでしまっていた。上田だろうが下田だろうが、ボールが砕けるほど打ち据えてやる……。ぼくが思いつめていたのは、ただそれだけだった。
そして――。
ぼくは、久しぶりに3本のヒットをカタメ打ちした。1本は先制のタイムリー、1本は追加点のタイムリーである。外角攻めできた上田の速球を、ぼくはぐいと大きく左足を踏みこんで打った。残念ながら、ゲームはあの劇的な田淵の逆転満塁ホーマーで負けた。負けたけれど、ぼくは悔いがなかった。
最後の守備についてからベンチに戻ったとき、ふと川上監督と視線があった。
よかったな、というようにその目は笑っていた。