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“荒れ地の小駅”だった「池袋」…世界3位のカオスな“ダンジョン駅”になる前には何があった?

2021/02/01
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“百貨店のターミナル”

 池袋駅は、まさしく百貨店のターミナルである。東口には西武の西武百貨店とパルコ(今では西武鉄道と西武百貨店はまったくの別会社だが、元をたどると同じである)、西口には東武の東武百貨店。それぞれ、その百貨店の中に駅があるような構造をしている。この単に西武と東武の駅があるだけではなく、百貨店もセットになっている構造が「東が西武で西東武」という印象を強くしているのではないだろうか。

 

荒れ地の小駅はなぜ世界的ターミナルに?

 ここで少し池袋駅の歴史を振り返ろう。1903年に開業した池袋駅だったが、当時は日本鉄道・国鉄の路線が通っているだけで、駅の周りはとりたててなにもない荒れ地にすぎなかった。たまたまこの場所で線路が分岐することになったので、申し訳程度に駅ができただけだったのだ。そんな原野の中の小さな駅がどうして世界有数のターミナルになったのだろうか。

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 そのきっかけのひとつは、西側に誕生したふたつの学校である。ひとつは、1908年創立の東京府豊島師範学校(現在の東京学芸大学)。もうひとつは、立教大学である。

立教大学 ©文藝春秋

 この2つの学校が駅の近くにできたことで、通学で池袋駅を利用する人が増えた。増えたと言っても、まだまだ原野の中にぽつんと駅と学校が、といった雰囲気だったのだろうが、定期的な利用者を確保できたことは池袋駅の発展にとって大きな第一歩と言っていい。

1962年の池袋。東条元首相らが処刑された巣鴨監獄の塀が右手に続いている ©時事通信社 

 ちなみに、駅開業前の1895年には巣鴨監獄が設置されている。監獄はあまり人の多い街には設けられにくいから、どれだけ池袋が閑散としていたかがわかる。この巣鴨監獄、戦後は巣鴨プリズンとなって東条英機らの処刑場所となり、今はサンシャインシティに生まれ変わっている。

 

学校の次にやってきたのは…

 学校の登場についで、さらなる飛躍のチャンスがやってくる。1914年・1915年と2年続けて郊外からの私鉄路線が開業したのだ。1914年は東上鉄道、1915年は武蔵野鉄道。現在の東武東上線と西武池袋線の前身だ(開業時から駅の位置は今と同じ。が、会社名が違うから当時は“東が西武で西東武”ではなかったのだ。やはりただの偶然、である)。

東武線池袋駅
西武線池袋駅

 この2路線はともに埼玉県内から東京を目指していた。かくして池袋駅は、埼玉から東京へやってくる人たちが最初に出会うターミナルになったのである。