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 アウンサンスーチーは長男との不仲がうわさされる。スーチー本人は「成人した息子たちを説得するつもりはない」と漏らしてきた。ウィンティンの言葉は、息子たちに「英国籍を離れてよ」とは言えない彼女の身上を見透かした、冷評のように思えた。

 友人のジャーナリスト、シードアウンミンは「息子たちがたとえミャンマー籍に変わると決心しても、当局が資格審査で阻む可能性があります」と指摘した。スーチーに大統領資格を与えないためにはどんな手も使うはずだ、との見方である。

 国内外の民主派やその支持派は国籍条項について、「軍政がスーチーを標的として設けたのだ」と非難してきた。イエトゥ情報相兼大統領報道官にこの点を問うと、憲法改正論議でスーチーが「改革の一部は失速している」と政権批判を展開してきたことを踏まえ、言い返した。「ドー・スーの批判は自分が大統領になれるかどうか、彼女が求める判断基準に沿ったものに過ぎません」

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国軍vsアウンサンスーチーという対立の構図

 スーチー標的論を考えるには、少し「過去」を振り返る必要がある。

 旧軍政期以来の「国軍vsアウンサンスーチー」という対立の構図は、ざっくり言えば「ビルマ族仏教徒」というコップの中の争いだった。アウンサン将軍は「建軍の父」であり、スーチーの実父である。内戦で戦う少数民族の武装勢力はコップの外の敵。国軍は、スーチー率いる民主化運動によってコップの中と外の二正面作戦を強いられることになった。

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 イギリスはその植民地支配でカチン族やカレン族といった一部少数民族に対し、キリスト教への改宗を推し進め、多数派の仏教徒ビルマ族を支配する立場として優遇した。「分割統治」である。ビルマ族は独立により支配権を奪い返した。独立に伴う内戦の勃発は、被支配者の立場に転落した少数民族の「復権」を懸けた闘争という側面もある。

 イギリスがこの国に残した「負の遺産」は、内戦にとどまらない。民政移管後に顕在化した仏教徒とイスラム教徒の対立もその一つだ。同じ大英帝国下、インド側から大量のベンガル系イスラム教徒が流入する。テインセイン大統領もミンアウンフライン最高司令官も、私のインタビューにイギリスへの恨み節をとうとうと語っていた。

互いに繰り広げる心理戦・情報戦

 国軍は今も、武装勢力などと心理戦や情報戦を互いに繰り広げている。米欧諸国は少数民族、キリスト教徒やイスラム教徒を「抑圧・弾圧される側」とみなして同情的だ。

 軍人議員のティンソー准将はメディアにこう発言していた。「国家元首は国民の全幅の信頼を得る必要がある。その家族がどんな形にせよ外国の支援を受けるようなことがあれば、この国は間接的に外国にコントロールされるかもしれない」

「国籍条項の維持」を訴える市民集会がヤンゴン近郊で開かれたことがあった。テインセイン政権が後押しした可能性はぬぐえないが、「国籍条項の取り扱いは(スーチー個人の問題ではなく)長い目で是非を判断した方がいい」との指摘があった。大局的には国家の安全保障に関わる問題なのだと。