ロヒンギャ問題は複雑で根が深い。歴史的背景が込み入って解決への道筋は一筋縄ではいかない。「人権」が絡んでいるだけに、うかつなひと言で収拾がつかなくなる。誇張や曲解されることもある。主治医ティンミョーウィンによると、スーチーが沈黙してきたのは、時に沈黙は語るよりも優れているという、仏陀の教え「賢者の高貴な沈黙」にならったものだった。
国際社会からの侮蔑的な視線
本章を書いている最中(19年12月)、オランダ・ハーグの国際司法裁判所で「ロヒンギャ迫害」問題の審理が始まる。ミャンマー国軍による対ロヒンギャ武装組織への掃討作戦が「ロヒンギャを集団として破壊する意図をもって」一般住民へのジェノサイド(集団虐殺)に及んだ、との訴えである。
スーチーが出廷して被告席に立つ。国軍の「擁護」をしたことで、英BBCがスーチーの「大きな転落の日」と報じるなど、メディアは総じて、彼女に非難の声を浴びせた。
軍政期、スーチーは「人権」と「民主主義」を錦の御旗に国際社会から揺るぎない支持を受けて「悪の軍政」と対峙していた。皮肉なもので、今や「悪の国軍」に付和雷同する人権無視の張本人として、国際社会の侮蔑的な視線を一身に浴びている。期待が大きい分、失望が深いのは世の常である。
占星術師が語った逸話
私は裁判報道を眺めながら、テインセイン政権の占星術顧問だったペニャン師が語った逸話を思い出していた。呪われて王になった人物の苦難の話である。王になれば、さまざまな国難に直面する。国家のあらゆる問題と苦難を背負わないといけない――。
王になるよう誰かに呪われたかな、と思ってしまうほどだ。
スーチーは記者会見での私の質問に、「大統領になる」という占星術師の予言を『私の明るい将来』と表現し、謝意を示した。そのことから、彼女は最高指導者になってこれほどの激しいバッシングを受けるとは予期していなかったに違いない。
スーチーは偶像ではなく生身の政治家を志した。父アウンサンが果たせなかった「民主化されたミャンマー」を成し遂げたいと。「重要なことはすべて私が決める」と豪語したスーチーである。その心底にはあらゆる問題と苦難を背負い込む覚悟があったはずだ。いや覚悟していなければならなかった。
ロヒンギャ問題に対し、スーチーは目を背け、口をふさぎ、何もしない――。国際人権団体のアムネスティ・インターナショナルは、無力ならともかく行使できる「政治的、道徳的権限」がありながら行使しないのは、無作為の作為だと非難した。
批判者はさらに言い募る。スーチーの後ろ向きの姿勢は、ロヒンギャを嫌う大多数の国民の支持をつなぎ留め、政権運営や将来の憲法改正に不可欠な国軍の協力を失わないようにするためだと。確かにスーチーは「国民の支持」によって最高指導者のポストをつかみ取った。これらを失えば、自らの政治的な寄る辺はなくなってしまう。
もはや「世界のスーチー」ではなく「ミャンマーのスーチー」である。しかし彼女は法廷で、国内での保身のためだけに国軍を「擁護」したのではないと私は見た。武装組織に対する掃討作戦での行き過ぎは認めつつ、作戦の正当性を確信して訴えに反論していたと思う。