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ロヒンギャ問題の本質とは

 殺害やレイプ、拷問や住居の破壊など数々の残虐行為があり、結果として大量の難民が命からがら隣国バングラデシュに脱出した。私は、これを否定したり軽視するわけではない。人道上の危機、人権侵害の極みである。

 ただ、ロヒンギャ問題では「人権」だけに焦点が当てられがちだ。「人権」は「普遍的価値」とみなされるがゆえに、物事の善悪を判断しやすく、誰もがとっつき易いテーマだ。テレビやネットを通して、目の前には悲惨な光景が映し出されている。しかし、いやそれだけに問題の背景をとことん掘り下げることなく、人を思考停止にさせる危うさが付きまとう。「誰がこんな目に遭わせたのだ」とか「誰がこんなことを黙認したのだ」とかいったレベルで止まっているのが、ロヒンギャの「人権」問題である。

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 ロヒンギャ問題の根っこの一つにはイギリス植民地支配をルーツとする「負の遺産」がある。

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 なぜロヒンギャはミャンマーで不法移民扱いされ、国籍が与えられないのか。なぜロヒンギャはミャンマー人からそれほどまでに嫌われるのか、なぜを突き詰めて考えるべきだと思う。

 ロヒンギャ問題は、イスラム教徒に対する仏教徒の迫害という文脈でも語られるが、より本質的には歴史的な土地・領土の奪い合いという側面が強い。どちらか一方だけが正しいと判別できるような単純明快な問題ではない。

 国家レベルで見ると、「イスラムの脅威」やロヒンギャ武装組織、つまりイスラム過激派またはテロ組織の動向が絡む安全保障の問題である。国軍の掃討作戦は「分離独立」を口にした過激派の蜂起を契機に行われた。過激派に殺害されたり、虐待を受けた地元仏教徒(ラカイン族)の「人権」は視野の外に置かれてきた。

 ロヒンギャ問題を「領土争いに起因する紛争」という視点で眺めると、双方の当事者がいかに激しく情報戦や心理戦を繰り広げているかが見えてくる。国連や人権団体へのロビー活動もその一環だ。過激派は、国際世論をこの問題に引きつけるため、国軍の反撃を想定して意図的に人道危機を創出した疑いがある。

 ロヒンギャ問題は私がミャンマー情勢をカバーする中で特にエネルギーと時間を費やしたテーマだった。今回の掃討作戦以前から、長い間の紛争で犠牲になってきたのは、ロヒンギャと仏教徒ラカイン族双方の無垢の民なのだ。悲惨なのは、「憎悪の連鎖」の中で無垢の民同士が暴力を繰り返してきたことである。

ロヒンギャ問題に対するスーチーの立ち位置

「人権」問題に焦点を当て、人道危機に速やかに対応するのは当然である。しかし、そこにとどまって一方の「非」を糾弾し、どうにかしろ、と声高に叫び続けても解決への道は進めない。むしろ相手をより頑なにし、孤立感とやり場のない怒りを増幅させるだけである。

 メディアの報道も国際機関、多くの国の対応も著しく偏っている。ミャンマー人仏教徒(特にラカイン族)は「多勢に無勢」の感を強くしており、そうした偏った姿勢がロヒンギャや国連などロヒンギャを支持する国や組織に対し、憎悪を募らせてきた。挙げ句、憎悪のはけ口をロヒンギャに向け、一連の差別や暴力を正当化してきたことは、社会心理学的に説明できる。「憎悪の連鎖」は、ロヒンギャの無垢の民をより窮地に追いやってきた。一方への極端な非難と擁護は、むしろ「憎悪の連鎖」に加担する行為なのだ。

 スーチーは今やこの難事の矢面に立ち、批判の矛先となっている。

黒魔術がひそむ国 ミャンマー政治の舞台裏

春日孝之

河出書房新社

2020年10月13日 発売