山形さんの母親が付けていた出納帳の内容
件の出納帳には、山形さんの名前を記した〈康介出費〉との項目があり、始まりは昭和60年(85年)である。それは次のように記載されている(和暦を西暦に変更)。
〈◎85年
・3月22日 293,500円 ワールド布団代
・12月24日 1,000,000円 車代、松永さんより買う
◎86年
・2月10日 123,000円 ××信販支払い
・2月10日 118,600円 ××(ノンバンク)支払い
・3月19日 296,425円 ××(ノンバンク)支払い
・4月1日 500,000円 康介事故修理
・10月8日 300,000円 現金希望
◎87年
・2月16日 900,000円 カーペット代
・3月22日 100,000円 現金希望
・4月7日 1,500,000円 クレジット
・7月10日 350,000円 車検代〉
ここまでを見てわかる通り、85年だけでも支払額は計1,293,500円あり、86年には計1,338,025円、87年は計2,850,000円と増えていっている。なお、金融機関への「支払い」との表記があるように、母親が山形さんに送金するという方法に限らず、借入金の支払いを肩代わりしたものも含まれていることを、付け加えておく。
ワールドの経営悪化で一気に増額へ
このような年間数百万円の支払いは、まだ“とば口”に過ぎなかった。ワールドの経営状況が悪化するにともない、松永に命じられるまま山形さんが母親に無心、または支払いの肩代わりを要求してきた金額は、一気に増加していくことになる。
以下年間の合計額だけを記すと、88年は計8,824,620円、そして昭和から平成に移り変わった89年には、その金額は前年の約4倍である計34,320,000円にまで膨らむ。
ただしこの89年についていえば、用立ててもらったカネの一部に関して、返済の意思があることを示すため、ところどころで母親に返金しており、返済額は計6,450,000円あった。そのため母親の手元から出た金額は、結果的に計27,870,000円となる。
ちなみに、85年から88年までの間も、若干の返済があったため、それらを引き、すべてを集計すると、85年3月から89年11月までの支払い総額は41,376,145円だった。母親から山形さんへの最後の送金は92年12月であることから、89年末から約3年間で、残り9000万円弱が支払われたことになる。