昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

死ぬ引き金になった言葉

 でも、その自殺騒動を知ったAの友人のBが、《死ぬ死ぬ詐欺をする元コンカフェキャスト》とツイッターに書き込んだために、また追い込まれてしまった。そのツイートを引用して、娘は9月27日、《死ぬ死ぬ詐欺は今日で終わらせます ごめんなさい(中略)しっかり次は死にます》というツイートを投稿しています。このBのツイートは間違いなく娘が死ぬ引き金になった言葉だったと思っています。

明らかに月乃さんに向けられた、Bによる誹謗中傷のツイート

《18さい ママ弟おばあちゃんおじいちゃんファンのみんな友達大好きでしたさようならずっと死んでもAさんBさん諸々恨みます人は簡単に言葉のナイフで殺される》

 私がこのメッセージに気づいたのが9月30日の15時過ぎでした。それを見てすぐに警察署に「娘が危ないかもしれない」と電話しました。娘の友達からも電話がきて、探しに行ってくれたんですよ。そうしたら娘が泊まっていた栄のホテル付近に規制線が張られていて、救急車で娘が搬送されていたそうです。

月乃さんが亡くなったホテル

 翌日、警察に行って、安置所で娘の顔を見て、違うと思いたかったんですけど、やっぱり娘で……。娘にメールで「冷たくなった体なんかで帰ってきたら絶対許さないからね」と送っていたんですけど、それが現実になってしまって、今でも「救えなかった」という悔しさでいっぱいです。

月乃さんのカバンから出てきた4通の遺書

 ホテルにあった娘のカバンから4通の遺書が出てきたと、警察の方から渡されました。それと娘の部屋からは家族に向けた遺書が4通。机の上に置いてあった封筒にも1通の遺書が残っていた。計9通です。そのうち、封筒に入っていた1通がこれです。

《ママ、●●(弟の名前)、●●(祖母の名前)、じいさん、 ごめんね こんなんでごめんね 大好きだったよ 守れなくてごめんね A、B、D(関係者実名)全員きらい。生きるのがくるしい ごめんなさい。 先に行きます》

月乃のあさんの遺書

 やはりお店のプロデューサーであるA、そのプロデューサーの友達であるBとお店のオーナーのDの名前が遺書には書かれていたんです。

 あの子の字で書いてあって、名前を見たときは怒りがこみ上げてきました。のあはその人たちのことを信頼していて、頼っていた。それにもかかわらず、そのうちの1人からセクハラを受け、さらにセクハラを訴えても信じてもらえず、妄想だとか被害者面だとか死ぬ死ぬ詐欺だとか言われたわけです。「なんでそんなこと言うの?」って裏切られた気持ちでいっぱいだったんだと思います。