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「町田市民は、東京と神奈川の間で押し付け合われていると気づいてる」 国道16号線がつなぐ「郊外」のリアル

三浦しをんさん、柳瀬博一さん対談

genre : ライフ, , 歴史, 読書

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 ちょっと待たれい! 町田は東京都ですよ? 「東京に通う」という言い方は聞き捨てなりませんな。まあ、なぜか町田市民、町田駅前で買い物する時も「町田に行く」って言うんですが。家があるのも町田なのに(笑)。

なぜ町田は東京都になったのか

 あ、失礼いたしました(笑)。ただ、『国道16号線』でも書いたのですが、町田は、長年属していた武蔵国多摩郡が分割され、明治維新では神奈川県に入ったんですよね。

著者撮影

 そうなんですってね。今も地図を見ると町田は、神奈川県へ半島みたいな形で飛び出しています。町田市民は薄々、「残念ながら、どうも自分たちは東京と神奈川の間で押し付け合われているらしい」ということに気づいてるんですよ。なぜ「はみだしっ子」扱いなのか、私も理由までは知らなかったのですが、柳瀬さんのご本を読んで納得しました。『まほろ』で描いたような、多様な人々が集まって織り成す進取の気性があり、同時にワイルドなところもあるからだったのか、と。

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 リベラル気質とヤンキー気質がセットとでもいうのか(笑)、東京になった理由はその気質にありますね。

©新潮社

 はい、目からウロコでした。ご本の内容に具体的に触れてしまいますが、大丈夫ですか。

 ぜひ。

 詳しくは『国道16号線』をお読みいただきたいのですが、明治時代、多摩地域では自由民権運動が非常に盛んでした。町田、日野、立川ラインですね。そもそも新選組が出てきたのも、日野市のあたりですし。みんな元気に自由民権を叫ぶので、神奈川県側が「こいつら激しく活動しすぎて危ないから、いらない」と、首都である東京に町田を押し付けたそうなのです。

町田駅前の久美堂にて 著者撮影

 今も町田には「自由民権資料館」がありますよね。白洲正子さん次郎さんの住んだ「武相荘」のある鶴川にあります。

 「武相荘」も立派な農家のつくりですし、「新しい世の中とは」と考え追求する豪農が、多摩にはいっぱいいたんでしょうね。

 すぐそばに今はコメダ珈琲とUNIQLOがあります。