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事件記者として求められる役割を、果たせずにいた

 アパートまでの道のりを歩いた。いわきナンバーの車に、初めて見るスーパーマーケット。この街で生活するという現実感をいまだにつかめないまま、彼女の待つアパートにたどり着いた。避難者に加え、廃炉や除染の作業員といった増え続ける需要に応え、拡大を続ける住宅街の果てに建てられた新築アパートであった。見知った笑顔を見て、私はようやく安堵した。

 いわきには3冊のA4ノートを持ってきていた。2014年から翌年にかけての、震災関連のスクラップブックである。TBSを辞める直前、警視庁クラブで私は10日に1度やってくる泊まり勤務の際に、震災関連の記事を探し、自分の気持ちを埋め合わせるように、それを綴じていった。

家屋が倒壊した陸前高田 ©iStock

 よく抜かれた。覚えのない犯人逮捕の報が他局で流れるたびに、右往左往し、パニックになり、叱責され、落ち込んだ。事件記者としては落第であった。私にそう言った人もいたし、私もそう思った。事件報道は、必要である。しかし、私はその求められる役割を、果たせずにいた。

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東京にいることの居心地の悪さ

 スクラップした記事は、東北がまだ被災地であり、福島では原発事故の後始末がいよいよ複雑になってきたことを伝えていた。記事を読んでもわからないことが増えた。よしんば機会が巡ってきて、年に1度の特番のために被災地を取材しても、到底、真実に近づくことはできないだろう。

陸前高田をはじめ、街まで押し流された船が至るところにあった ©iStock

 警視庁から霞が関の灯を眺めながら、東京にいることの居心地の悪さを、強く感じるようになった。私がいる場所がここではない。現場を見たい。きっと、このままだと、私は取り返しのつかない後悔をする。

 震災から4度目の年末に、TBSを退職する旨を告げた。

 しばらくは無職であった。