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「津波よりも、避難所で人に会う方が怖い…」ひきこもりの次男と助けようとした妻を亡くして

陸前高田市の元小学校校長・佐々木善仁さんが歩んだ10年間

2021/03/10

genre : ニュース, 社会

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避難所に行くのを嫌がった次男

 津波が来たとき、長男は、みき子さんと次男と一緒に自宅にいた。次男はひきこもりだったが、避難所に行くのを嫌がった。部屋から出ない次男をみき子さんが説得しているときに津波に襲われた。3人は流された。ただ、長男とみき子さんは、海岸近くにあった市営野球場までたどり着いた。長男は諦めかけていたが、みき子さんの「せっかくここまで来たのだから、生きなきゃいけない」という言葉を聞き、生きようとした。しかし、みき子さんはさらなる津波にのまれ、帰らぬ人になった。

津波に流された佐々木さんの自宅があった付近(2011年4月21日撮影)

 あれから10年が経った。陸前高田市では、復興工事が進み、震災前に市街地だった場所は嵩上げがされた。かつての市役所の付近には、中心市街地が出来上がっている。JRは線路がなくなったものの、BRTとして復活している。市立図書館が併設されている、商業・図書館の複合施設「アバッセたかた」も整備された。市庁舎は、様々な議論の末に、高田小学校だった場所に建設されている。

「あっという間ですね。今は、街に瓦礫がなくなり、土地が整備されました。震災当初は、今まで私たちが生きていた思い出があり、悲しくなった。水の中に沈んだダムのようだった。現在は、嵩上げをしました。ということは、今まで過ごした街がなくなってしまったということで、寂しいと思っています。堤防が作られ、海が見えなくなりました。見えないことへの思いは色々あります。心理的にも抵抗があります。しかし、地域の住民を守ってこそです。

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 もちろん、復興への期待はありますが、複雑な思いです。それに高田の中心部には街ができました。なりわいの再生のためにはすごいなと思います。そのエネルギーを自分も利用したい気持ちがあります。しかし、人口増の見通しが立っていません」

 佐々木さんは、ひきこもりの次男とどう接していたのだろうか。

長男と妻が流された地点(2011年4月11日撮影)
長男と妻が流された地点の現在(2021年2月23日撮影)

退職したら、向き合おうと思っていたのに…

「次男が不登校になった時から、苦しみや悩みを聞いていたのは妻でした。私は、妻から聞くだけ。当時は、他人事だったと思います。しっかりと向き合うことができませんでした。不登校やひきこもりだった時期に、私は、なんとかしようとは思わなかった。波風を立たせたくないと思っていました。ただ、退職したら、向き合おうと思っていましたときに、あの日を迎えてしまいました」

 みき子さんは、「不登校・ひきこもりの父母の会」に参加していた。

「妻は、晩年は責任ある立場でした。震災後、妻が亡くなったため、会を解散することも考えていたんです。しかし、不登校の子は多いため、会は存続しています。発達障害の子どもに悩む親も口コミで集まっています。一方では、ひきこもりに特化した会も作りたいと思いました」