震災から2年後、ひきこもりの親の会を設立しようとし、イベントを開いた。しかし、参加した人のほとんどが支援者で、当事者の親は数人のみ。これでは親の会を立ち上げられないと思っていた。しかし、盛岡市を拠点とした「KHJいわて石わりの会」ができて、現在は、代表となった。
「NPO法人の全国ひきこもり家族会連合会(KHJ)から、盛岡市内で会を立ち上げるという話があり、参加するようになったんです。自分の体験談を話しました。立ち上げには関わっていませんが、数ヶ月後に、会の代表になったんです。私は、自分の経験をほとんど話しませんが、震災の時のことは話します。当事者の話を聞くことで、『息子は、あのとき、こう苦しんでいたのか』と思いました」
誰にも優しい社会を
次男が不登校になり、ひきこもりになった。震災では、避難所に行き、人と関わらないといけないプレッシャーが強かった。次男は「津波にのまれるよりも、避難所で人に会う方が怖い」と言って、避難せずに命を落とした。
「次男がひきこもりにならなければ、不登校やひきこもりに関心がなかったと思う。学校の教員時代には、不登校の子どもと関わることはなかったのですが、やがて私自身が当事者の親になりました。でも、息子はひきこもって、10年後に震災で亡くなってしまったのです。命のある子どもたちを自己責任とするのではなく、見守れるネットワークをつくらないといけないと思っています。そういう社会は、誰にも優しい社会だと思います。今だったら、波風を立ててもいいから、息子が理解できないとしても、親の思いを話そうと思います。そして、息子の気持ちをちゃんと聞こうと思います。そうしないと、後悔します」
今後は、南海トラフ地震のリスクが言われているが、同じようなことが起きないとも限らない。
「東日本大震災だけではなく、今後、心配される南海トラフ地震でも、次男と同じような子どもが亡くならないようにしてほしいですね。社会と断絶している人がいる場合、例えば、消防団が逃げるように言ったとしても、拒否するかもしれません。
自分の意思で逃げようとする、または、安心して逃げられるような社会のシステムが必要なんだと思います。きっと、当事者の父母会や親は、そんな風に思っているのではないでしょうか。もちろん、親は最初、世間体を気にするかもしれません。しかし、当事者の親を不安にしないで、子どもの困りごとを言えるような世の中になればいいと思います。私たちの活動が、その一助になれば、と思っています」
写真=渋井哲也