3発の銃弾を体に受けて…
花形が安藤組組員に撃たれたのは昭和33年2月のことだった。安藤組内宇田川派と大和田派の内部対立ということにもなるが、どちらかといえば酔って暴れ回り、狼藉をはたらく花形個人に対する感情の暴発である。
刺客は千鳥足の花形を呼び止め、真正面から銃口を向けた。
「おい、M。なんの真似だ」
間合いを詰める花形に無言で刺客が引き金を引く。初弾が体をかすめ、脇の壁にめり込んだ。
「M、お前にゃ俺を撃てねぇよ」
そう言ってゆっくりと左の拳を差し出す花形。刺客は再び引き金を引いた。今度はその拳を弾丸が貫いた。血飛沫(ちしぶき)が舞い、花形がよろめく。
バーン。
とどめの三発目が花形の腹部に吸い込まれた。刺客は花形が崩れ落ちるのを確認して走り去った。
しかし、花形は生きていた。自力でタクシーに乗り、病院で応急処置を受けると、医者の制止を振り切ってそのまま女と夜の街に戻った。腹部の弾丸は内臓を避け、運良く貫通していたのである。とはいえ常軌を逸した行動、並はずれた体力であることは間違いない。この事件は安藤組の面々から「神様、仏様、加納様」と慕われた愚連隊の帝王・加納貢が間に入って解決。激しいぶつかりあいは膿を出すことにもなり、派閥間の冷戦は払拭されたという。
昭和33年6月、列島を震撼させた東洋郵船社長横井英樹襲撃事件が勃発する。
権威をあざ笑うかのごとく挑発的な逃亡を続ける安藤に、警察は激怒する。組長の安藤以下、花形ら幹部はことごとく逮捕された。襲撃を担当したのは安藤組随一の「突破」といわれた志賀日出也の赤坂支部で、花形は後方支援を担当した。そのため刑は軽く、いち早く出所した。
「帰ってきた敬さんは別人になっちゃったもんな」
しかし、渋谷に戻った花形は愕然とする。もはや安藤組に昔日の面影はまったくなかったのである。組員は激減し、築き上げた縄張りは蹂躙されるがまま。なかには「安藤組など過去の話だ」とあからさまに挑発するものもいた。
安藤組の組長代行となった花形は、まるで人が変わったようだったという。
「帰ってきた敬さんは別人になっちゃったもんな」(元安藤組組員)
これまでは力で相手を屈服させ続けてきた花形は、一転して穏健派となり、話し合いを重視し、下げたことのない頭を下げた。安藤不在の責任感、警察の厳しい取締り、懲役での経験が花形を変えたのかもしれなかった。