【真田の抜け穴(真田古墳)】信繁が作った抜け穴として知られる古墳
実際は、古墳時代後期(4世紀頃)の横穴式古墳だが、真田の伝説が残る土地にあるので真田古墳と名付けられた。「信繁が徳川家の監視の目をかすめて九度山の昌幸が暮らしていた屋敷(現在の真田庵)から大坂城へ入城するために作った長いトンネルで、信繁はこの抜け穴を使って大坂城へ出向いた」という伝説が残っている(第13回真田庵の敷地内にある「雷封じの井」参照)。「子どもの頃は本当に信繁が作った抜け穴だと信じていた」という地元の人も多い。
真田の抜け穴(真田古墳)
交通アクセス:南海電気鉄道高野線「九度山駅」から徒歩10分程度(真田庵から東へ170mほど)
取材協力/岩倉哲夫氏、九度山町産業振興課真田丸推進室