1ページ目から読む
5/5ページ目
●二代目の松
信繁は昌幸が死去した際、遺体を荼毘に付して屋敷の敷地内に遺骨を埋葬した。その時、墓印として松の木を植えたと伝えられている。初代の松が枯れてしまった後、地元の人の手で二代目の松が植えられた。それが現在、真田庵の境内にある「二代目の松」である。
●雷封じの井
慶長年間、信繁が真田屋敷に落ちた雷を取り押さえて封じ込めて里人の難を救ったという伝説の井戸。実はこの井戸は真田庵の近くにある、大坂城に通じていたという「真田の抜け穴」(真田古墳)に繋がっていて、その入り口を隠すために「雷を封じ込めたからこの井戸を開けることを禁じる」と家臣や民衆に命じたというさらなる“尾ひれ”がついている。
昌幸のほとんどの家臣たちは、昌幸の屋敷の周囲に居を構えて暮していたと考えられている。真田庵周辺を、この辺に家臣の屋敷があったんだなと思いながら散策するだけでも楽しい。
真田庵
所在地:和歌山県伊都郡九度山町九度山1413
問い合わせ先:0736-54-2019(九度山町観光協会)
交通アクセス:南海電気鉄道高野線「九度山駅」から徒歩10分程度
取材協力/岩倉哲夫氏、真田庵、九度山町産業振興課真田丸推進室