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職務の「脱人格化」と自己責任論

 債権回収に伴う精神的負荷を軽減する方法は、感情労働の金融技術というべきものだった。たとえば、元アイフル社員の笠虎崇にとって、入社当初は債権回収ほど嫌な仕事はなかった。その嫌悪感を払拭する上で、上司から受けた次のような助言が有効だったという。

「いいか、殺人犯や凶悪犯の役をやる役者が、素の自分でやっていたら罪悪感にさいなまれて嫌になっちゃうだろう。取り立ても同じ。素の自分で取り立てしていたら嫌になるのは当たり前。ドラマだと思って、こわもての取り立て役になったつもりで演技するんだよ。そうすれば、舞台(仕事)の上でどんなにえぐい取り立てやっても、その舞台が終われば、そこで起こったこととは関係のない、自分に戻れる。仕事とプライベートをしっかり分けてやれば、取り立てで辛い思いはしなくなるぞ」(笠虎 2006

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 取り立て役を演じる「役者」になりきることで、仕事とプライベートを切り分ける。これは、ホックシールドがdepersonalization(「脱個人化」あるいは「脱人格化」)と呼んだ対応である。取り立て役を「演じる」ことで、業務から本来の自己の人格を分離し、債権回収につきまとう罪悪感を受け流すのである。

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「脱人格化」は心身を病む

 こうした職務の「脱人格化」は、自分を偽ることになるため、しばしば労働者本人の自尊心を傷つける。ホックシールドは、「脱人格化」を行う感情労働者は、やがて自分を偽ることに嫌気が差し、最終的には燃え尽きる可能性が高くなると指摘している。

 この指摘は、確かに一面では正しい。就職氷河期にカード会社に入社した榎本まみは、「脱人格化」に成功しているように見える練達の社員でも、心身を病んで退職する者は少なくなく、それはまるで「人の消費や使い捨てのような労働だった」と述べている(榎本 2012)。

 だが、「脱人格化」が感情労働者を燃え尽きさせるというホックシールドの見立てに対しては、鈴木(2012)が的確に整理しているように、多くの批判が寄せられている。実際、サラ金の感情労働者が、職務の「脱人格化」によってむしろ精神的な負荷を軽減し、自尊心を守ろうとしていたという証言は、数多く残されている。