債権回収は「ゲーム」
その一つが、債権回収をある種のゲームとみなす方法である。某サラ金の元社員は、「相手の債務状況や家族関係、営業店の交渉履歴などのデータを駆使して、いかに回収できるかを考え、追い込む。まさにゲームだった」と述べている(『朝日』2006年9月19日付朝刊)。債権回収をゲームだと考えれば、返済に苦しんで延滞する債務者は「勝負」の相手なので、打ち負かしても同情する必要はない。単純に債権を回収できれば「勝ち」だから、勝利の達成感で罪悪感を打ち消すことができた。典型的な職務の「脱人格化」である。
加えて、債権回収に伴う心理的負荷を軽減するもう一つの方法が、自己責任論の内面化だった。サラ金社員は、延滞する債務者を自業自得だと割り切り、徹底的に追い詰めたのである。元大手サラ金のある社員は、次のように振り返っている。
「当時の上司の口癖は、「悪いのは客。どんなことを言っても許されるんだ」と。しょせんは電話での督促ですから、何を言おうが、どんな悪態をつこうが気楽なんです。だんだん相手を攻めたてる面白味にも目覚めちゃって、こいつら人生の負け組なんだと……。責任転嫁もいいところですけど、当時の私はほんとにそう思っていました。」(須田 2006)
債務の返済に苦しむ顧客を自業自得であると決めつけ、「こいつら人生の負け組なんだ」と自らに言い聞かせる。そうすれば、債務者を責め立てることには「面白味」さえ感じられた。債務者に対する共感や同情を意識的に断ち切り、債権回収業務を円滑に進めるうえで、自己責任論の内面化は有効だった。だからこそ、上司は部下に向かって「悪いのは客。どんなことを言っても許される」と口癖のように繰り返したのだろう。
こうした自己責任論の内面化や、職務の「脱個人化」が、感情労働に従事する人びとの心理的な負担の軽減に貢献したことは間違いない。自業自得の客になら「どんなことを言っても許される」と信じ、取り立ては「演技」や「ゲーム」にすぎないと自分を納得させれば、債権回収に伴う精神的な負荷を、少なくとも短期的には軽減できた。顧客の追い込みに付随する心理的な葛藤を回避し、自尊心を守るための方策が、職場の上司と部下、先輩と後輩という感情労働の重層的な構造の中で伝承されていた。
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