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シャネルズが歌った「ピンク・レディー」

『LET'S ONDO AGAIN』の収録曲のなかでも特筆したいのが「ピンク・レディー」である。これは同時期にヒット曲を連発して社会現象となっていた女性アイドルデュオのピンク・レディーへの応援歌で、歌手名にはモンスターなるグループがクレジットされているが、その正体はシャネルズ(のちのラッツ&スター)であった。

ピンクレディーのふたり ©文藝春秋

 なお、『LET'S ONDO AGAIN』にはもう1曲、「河原の石川五右衛門」と題して、ピンク・レディーのヒット曲「渚のシンドバッド」の歌詞を天下の大泥棒・石川五右衛門に換骨奪胎したカバー曲が収録される予定だった。だが、ピンク・レディー側から許可が得られず、ライナーノーツに歌詞のみが掲載された。同曲が本来の形で収録されたのは18年もあと、1996年にこのアルバムがCDとして再発されたときであった。前出の「ピンク・レディー」と同じく、曲中にはピンク・レディーの各ナンバーから引用した一節がちりばめられ、凝っている。

 このころ大瀧は、明治以降の日本の音楽が洋楽を採り入れながら独自の発展を遂げていった過程に関心を抱き、そのなかで歌謡曲にも注目していた。ピンク・レディーも格好の研究対象であったのだろう。

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後に再評価を受けることになる『LET'S ONDO AGAIN』

元来の「お笑い好き」からコミックソングに没頭

『LET'S ONDO AGAIN』ではこのほか、「ハンド・クラッピング音頭」「禁煙音頭」「呆阿津怒哀声音頭」といった音頭物が収録されている。原曲はそれぞれ、『NIAGARA MOON』収録の「ハンド・クラッピング・ルンバ」、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「スモーキン・ブギ」、レイ・チャールズの「What'd I Say」である。このうち「ハンド・クラッピング音頭」にはゲストとして漫才コンビの星セント・ルイスが登場し、「田園調布に家が建つ」などの持ちギャグも披露している。彼らが漫才ブームで躍り出るのは、この1~2年ほどあとなので、大瀧には先見の明があったといえる。

 大瀧はもともとお笑いが好きだった。彼がそのことを再確認したのは1973年、会ったばかりだった伊藤銀次に教えられて小林信彦の『日本の喜劇人』(晶文社、のち新潮文庫)を読んだときだという。とりわけ、60年代に人気を集めたクレージー・キャッツについて書かれた章には、幅広い音楽に取り組む勇気を与えられ、コミックソング制作に没頭することになった。ただ、そのおかげで《ミュージック・シーンの栄光の座からどんどん遠くなり、70年代後半はマッ暗な歴史となった》とも、のちに述懐している(※1)。