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投資会社社長がアイドルに渡していた“7000万円”もの大金…様々な噂が飛び交った“奇妙な関係”の真相

『兜町の風雲児 中江滋樹 最後の告白』より #1

2021/03/26
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清純派アイドルとのスキャンダル

「プラスワン構想」は思わぬところで、中江の人生に忘れられない後悔のタネをもたらすことになる。芸能人とのスキャンダルである。

 当時、プラスワン構想の一環として、新しい雑誌を作るというアイデアが出た。提案した幹部の「柱」の一人が早大出の文学青年で、『パルム』というカルチャー雑誌を作りたいといってきたのだ。その時に思い浮かんだのが、一人の女性アイドル歌手の顔だった。

「テレビ番組『アップダウンクイズ』を見ていたらたまたま彼女が出ていて、司会者が、暴走族をどう思う? と聞いたら、彼女は『私とは世界が違う人です』ときっぱり言ったの。その一言で、真面目でいい娘だなと思ってね、何も好きな女のタイプとかいうのではなくて、清楚で可愛いからファンになっただけ。新雑誌の提案があった時、創刊号の表紙に彼女を起用してインタビューを載せるのを条件に、4000万円の出資を認めることにした」

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 1979(昭和54)年にデビューした彼女は、日本レコード大賞新人賞を受賞するなどアイドル歌手として若者の人気を集めていた。

報じられたスキャンダル

 ところが1984(昭和59)年11月、中江とのツーショット写真が写真週刊誌『フライデー』創刊号に掲載される。女性アイドルの自宅の新築資金として「投資ジャーナル」の関連会社から7000万円が流れていたなどと報じられると、芸能マスコミを巻き込むスキャンダルに発展、芸能界引退に追い込まれてしまったのである。

©iStock.com

「当時僕は30歳手前で彼女は6歳年下だったかな。アイドル歌手としてこれからという時に将来を壊してしまって、あれから三十数年経った今でも、彼女の人生を狂わせたことを申しわけないと思ってる」

 当時の経緯を中江が申しわけなさそうに振り返る。

「新雑誌の提案からしばらくして、彼女のインタビューと撮影に同席したんだ。取材が終わった後、カメラマンに『会長、記念写真を』と促されて彼女の隣に座ると、『軽く肩に手を回してください』と言うから言われるままにそうしたら、それを写真誌に売りとばしたんだよ」

 中江が彼女と会ったのは、その時が初めてだ。それから数回ほど食事をしたという。

「彼女の話では、母親が会社の会計係をしながら二人の娘を育ててくれたとか。だからバイクで遊び回っている連中とは世界が違う、と言ったんだろうね。それと持病がある母親を土地付きの家に住まわせてあげたい、とも言っていた」

『フライデー』に写真が掲載される1年ほど前、実は『アサヒ芸能』が二人の関係を記事にする直前までになっていたという。それを知った中江は記事を止めさせるべく奔走、何人かの政治家にも頼んだが断られ、困り果てて料亭「川崎」の女将を頼った。