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“テレ朝の天皇”

 すると女将は応接室に中江を呼び、「三浦さんという凄い人がいるから、今ここに来てもらうように頼んであげる」と言ったという。女将が呼んだ「凄い人」とは、テレビ朝日・専務だった三浦甲子二(きねじ)のこと。政財界に幅広い人脈を持つ実力者で、“テレ朝の天皇”と称されていた。三浦もまた「川崎」の常連だったのだ。

三浦甲子二氏 ©文藝春秋

「三浦さんは僕を見るなり、『お前か、近頃、農協みたいな遊びをしている若造がいるってのは!』と一喝。それが出会いだった。でも『アサ芸』の件を説明すると、『よし分かった』と、目の前で徳間書店に電話を入れ、『三浦だが、すぐに社長から電話を寄こしてくれ』と伝言。しばらくすると徳間社長から折り返し連絡があり、『オレの可愛がっている若いやつが来週号で叩かれると困っている。記事を止めてくれないか』と依頼、『もう心配するな』と言ってくれた。凄い人がいるもんだな、と驚いたよ」

©iStock.com

 これがきっかけとなって、三浦とは気が合って毎晩のように会う関係になったという。それが、この後の中江に様々な影響を与えることになった。

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「会長、私は大丈夫です」

「実はこの件の後、三浦さんに彼女の実状を話したんだ。年間2億円稼いでいるのに収入は1000万円程度しかないらしい、と言うと、それじゃ気の毒だから新たに芸能プロを作って移籍させたらどうかという話になった。僕がお金を出してプロダクションを作り、移籍まで半年くらいかかったかな。つまり、例の7000万円は移籍料の意味だったわけだけど、マスコミは、中江が愛人にプレゼントしたとか、デタラメを流して騒ぎ立てたんだ」

 その後しばらくして「投資ジャーナル」が事件になった頃のこと。ヨーロッパに潜伏していた中江に、関係者から「アイドル親子が挨拶に来ました、電話してあげてください」と連絡があったという。

「ウィーンのアパートにいた時で、電話で居場所を突き止められるのが怖かったので、スイスのホテルまで行って国際電話をかけた。すると彼女は『会長、私は大丈夫です』って。ヨーロッパでも日本のテレビは見られたから、彼女がマスコミに追われて袋叩きになっているのは知っていた。なのに、そんなこと一言も言わずに僕のことを気遣ってくれた。ああ、やっぱり真心のある子だなと改めて思ったよ。

 結果的に僕のせいで芸能界を引退させてしまうことになったけど、その後の彼女の様子から、彼女は自分の人生を取り戻したのかも、そう思えることが救いかな。もしそうでないなら、何度でも謝らないといけないと心の底から思ってるよ」

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