自社で発行する証券関連雑誌で「絶対に儲かる」株式売買のテクニックを披露し、巨万の富を築き上げていた投資家の中江滋樹氏。「体を揺すれば大金が出る」とまでいわれるほどの金満ぶりで各界にその名を轟かせていた。元プロ野球選手の金田正一氏、日本マクドナルド創業者の藤田田、政治家の徳田虎雄氏……。その交遊関係は実に幅広い。
ここではジャーナリストの比嘉満広氏が、中江滋樹氏本人へのインタビューを行い、同氏の生涯についてまとめた著書『兜町の風雲児 中江滋樹 最後の告白』(新潮新書)を引用。羽振りが良く、豪放磊落だった男の素顔、そして表舞台から姿を消すことになった理由を明らかにする。(全2回の2回目/前編を読む)
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各界に広がる人脈、多彩な交流
お金と情報の集まるところには人も集まるのが世の習いだが、“風雲児”の呼び名が示す通り、相場以外ではいたって天真爛漫な中江の周りには、気がつけば様々な著名人との交遊が広がっていた。以下、ざっと見ていこう。
プロ野球界の重鎮だった金田正一とは丸国証券の役員を介して知り合い、常連だった銀座のクラブ「サード・フロアー」で酒席をともにするようになったという。
「僕を見つけると嬉しそうに席を移動してきて、一緒に飲んでたね。そうなると支払いは僕になるんだけど、400勝投手という偉大なプロ野球人なのに、気さくで楽しい人だったな。金田さんは投資ジャーナルの会員ではなかったから、お金を預かったことはなくて、あくまで個人的な付き合いだった。株のこともしつこく聞かれたけど、適当にはぐらかしてた。僕は金田さんに限らず、個人的に人に銘柄を勧めるような話は一切しなかったからね。
それと一度、『お嬢が会いたいと言っているが、どうする?』と言われて、誰のことだかわからなかったんだけど、『お嬢』とは美空ひばりさんのことだった。芸能界の大御所と呼ばれる女王みたいな人、さすがに怯んで丁重にお断りしたけど、会っておけばよかったと惜しい気持ちもあるよ」
日本マクドナルド創業者からの助言
中江と親交のあった中には外食ビジネスの大成功者もいた。ハンバーガーを日本に定着させた日本マクドナルド創業者の藤田田には、様々なアドバイスを受けたという。藤田は「投資ジャーナル」の会員で幹部に担当を任せていたが、中江に直接会いたいといってきてから月1回ほどの割合で会うようになったという。藤田が行きつけの料亭に中江を誘うこともあれば、中江が「川崎」に招くこともあった。
「藤田社長は僕に株のことを聞きたがっていたけど、何せ相手はカリスマ経営者だから控えめに話していた。『中江君の相場観はすごいな』と言われた時は正直うれしかったね。最初に会った時に藤田さんの著書『ユダヤの商法』を読んで目覚めました、とおべっかを言ったのを覚えてる」
藤田からは様々なことを教えてもらったそうだが、今も忘れられないことがある。
「わが社では年に1~2回、マスコミ対策で関係者を招待してパーティを開いている。後で配る土産も用意して、マスコミとの関係をうまくコントロールしているんだ。君にはそういう発想が足りない。経営者として、世間に対して自分の会社をどのように守っていくかを考えなさい、一度うちのパーティに来てみたらいい」
そう藤田に諭されたという。