文春オンライン

「お前の親父はヤクザだろ」高知東生も経験した“ヤクザの子供”に生まれたからこその“苦しみ”

『職業としてのヤクザ』より #1

note

昔は組と家族が一体だった

鈴木 本来は実力主義の世界だから、自分の本当の息子がかわいいと思っていても、対外的には、若い衆がいないと神輿は動かないんだから、子供より若い衆のほうが大事、若い衆こそ宝と公言する。

 だから、自分の跡目は若い衆から選びましょう、親分がヤクザとして稼いできたものは若い衆たちが縁の下にいたんだから、彼らに禅譲しましょうという建前がある。世襲は認めないという暗黙のルールがかつてはあったんです。

溝口 原則を言えばね。

ADVERTISEMENT

鈴木 ただ、親分が絶対だから、世襲すると言えば通るケースもある。組織の中に親分を担ぐ世襲派が生まれ、力を持ち始めます。稲川会も世襲を推す熱海派が力を持っていたのですが、四代目をとったのは反世襲派でした。彼らはいざとなれば組織を割って戦う覚悟で跡目争いに臨んで、組織を手にしました。

©iStock.com

溝口 昔は組と家族が一体化していたところも多かったから。

鈴木 すごくフレンドリーな組なんかだと、組員と家族が一緒になっていて、みんな仲良し、和気あいあいでやっているところもあります。本来、ヤクザは一家ですから、それが正しいんですよね。

子供たちと草野球のチームを作っているヤクザも

溝口 田岡一雄の息子の満が子供のころ、先ほども名前が出た佐々木道雄がよく満とキャッチボールをして遊んでやったと言っていました。そういうふうに、田岡の坊ちゃんのお世話係という側面も、昔の子分たちにはあった。

鈴木 家と事務所が分かれてなかったですからね。昔は海水浴に行くからバスをチャーターし、みんな奥さんや子供連れて来いよとやっていた。いわば社員旅行です。最近は地域の条例で、海水浴場でも刺青は禁止になっているし、そもそもバスをチャーターできないうえ、ホテルにも泊まれない。

 昔は子供たちと草野球のチームを作ってるヤクザもいました。あるとき、地方大会に天皇陛下が来ることになったんです。地元の警察がヤクザのチームに自粛を要請した。チームの監督だった親分は戦時中、特攻隊に所属していました。「陛下のために命を捨ててもいいと思っていた我々が、危害を加えたりするものか!」と怒り狂いました。

 それと、以前は組員の家族やプライベートの相談も奥さんが入って仲介してというのもありました。婦人会のようなものです。最近はそんな関係性はなくなってきています。