更生に導いたのは、少年院ではなく子育て
非行に走る子供の多くは心に深い傷を負っていて、それを非行という形で表現している……。
私は漠然とそんなふうに考えていたので、河合のアッケラカンとしたこの言葉に度肝を抜かれてしまった。
どうにも解せない気持ちを抱えて、再度、山埜井にインタビューを申し込んだ。相変わらず、ドヤのおっちゃんのような出で立ちである。
「背後に家庭の問題があるかもしれないけど、河合さんはしたたかでね、僕は可哀想だなんて思ったことはないんです。更生できたのは少年院に入ったからというより、自分の子供を育てる中で変っていったんじゃないかな」
23歳の河合には、すでに3人の子供がいる。河合自身は9人兄弟で、一番上の姉にも3人の子供がおり、年子の妹も3人の子持ちだ。一番下の妹はまだ4歳で、母と姉と河合と年子の妹の4人が同時に妊娠していた時期もあったという。ちなみに彼氏(事実上の夫)は10人兄弟だというから、義理の兄弟姉妹とその甥姪まで合算すると、いったい何人になるのかわからない。
こういう状況を「貧困と多子世帯」などという言葉で括ってしまうのは簡単なことだが、山埜井は、
「僕は生活保護を抜け出すことを更生とは呼びたくないし、河合さんは子供を生んで正解だった」
と言うのだ。そして当の河合は、
「子供は本当にかわいいです。のりたま(編集部注:山埜井氏の愛称)は、私が初めて妊娠したときも頭を抱えながら真剣に話を聞いてくれました。のりたま、見た目は変だけど、どんだけ親切か。あの優しさは話してみないとわかんないですよ」
と言うのである。
覚せい剤中毒の母親を持つ、ある少女の場合
山埜井が、中学3年まで寿学童保育に通っていたある少女の話を聞かせてくれた。
その少女の父親はフィリピン人で、母親は覚せい剤中毒患者。母親は覚せい剤を打って刑務所に入っては、戻ってきてまた打つということを繰り返していた。家庭はめちゃくちゃな状態だったが、その少女と少女の兄にはリーダーシップがあって、寿学童保育の中心的な存在だった。
山埜井は少女の家庭環境が心配だったので何度か家庭訪問をしたが、あまりにも悩みが多かったせいか、中学時代はよくリストカットをしていたという。
少女は中学を卒業すると、ある県立高校に進学した。学童は中3までしか通えない規則だが、山埜井は自分の体があいていればOBたちの相談にも応じていた。ある日、少女が相談したいことがあるといって訪ねてきた。