横浜の一等地に今なお現存する「寿町」は、200×300メートルのエリアの中に120軒ものドヤ(簡易宿泊所)がひしめく日本三大ドヤの一つだ。多くのドヤ街がそうであるように、寿町の住民も生活保護を受けている単身の高齢者が圧倒的に多いが、意外にも保育所や学童保育も実在している。寿町で幼少期を過ごす子ども達はいったいどのような日々を過ごしているのだろうか。

 ここではノンフィクション作家、山田清機氏の著書『寿町のひとびと』(朝日新聞出版)の一部を抜粋。寿町の学童保育で長年指導員を務める山埜井氏が印象に残っている二人の少女のエピソードを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む

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ムカつく奴をぶっ飛ばす

 最近は悪さのことを「やんちゃ」と言い替える人が多い。「昔はやんちゃしてたんで」などと聞くと、なんとなくマイルドな感じがするものだが、中学時代に河合がやった悪さの数々は、なかなかどうして半端なものではない。

「万引き、タイマン、営業妨害、いろいろやりましたね」

「タイマンって喧嘩のこと?」

「ムカつく奴をぶっ飛ばすってことですかね。調子に乗ってる奴には、お前ようってこっちから声をかけるし、向こうから喧嘩を売ってきたらいいチャンスだから、じゃあタイマン張ろうぜってことにするんです」

 ちなみに1対1はタイマン、グループ同士が喧嘩をする場合は総マンと言うそうである。

写真はイメージです ©iStock.com

 河合がタイマンの相手に選んでいたのは、下の学年のスカートを短くしている女子や目上に対して敬語を使わない女子、あるいは他の中学校の番長格の女子などであり、おとなしい子やガリ勉の子は相手にしなかったという。

「私、短気だったわけじゃないんだけど、自分の名を上げるためっていうか、喧嘩したくて喧嘩してた面もあるんですよね」

鴨居の番長たちが「タイマン張れよ」とやって来た

 タイマンはどういう手順でやるのか尋ねてみると、ある“タイマン”を例に解説をしてくれた。

 それは、河合が中学2年生の時のことだ。すでに河合は伊勢佐木町界隈のゲーセンやカラオケは「全部やってた」から、伊勢佐木町界隈では名の知れた存在だった。「やる」というのは、営業妨害のことらしい。

 ある日の晩、河合が自宅の2階で眠っていると玄関をドンドン叩く音がする。開けてみると、男がひとりに女がふたり、そして鴨居(横浜市緑区の地名)の番長として有名な同学年の女子が立っていた。

 男は知った顔だったから、たぶんその男が手引きをしたのだと察しがついた。鴨居の番長が来たということは、河合の名前が鴨居(寿町からは直線距離で10キロ以上ある)まで轟いていた証拠である。

 番長が言った。

「タイマン張れよ」

 河合はちょっと迷った。女のひとりが、いつの間にか玄関に置いてあった弟のバットを右手に握っていたからだ。リンチを受けるのではないかと危ぶんだ。