横浜の一等地に実存するドヤ街「寿町」には、わずか200×300メートルのエリアの中に120軒ものドヤ(簡易宿泊所)が林立している。そのなかの一軒「扇荘旅館」の帳場(管理人)さんは、寿町の中でもよく名の知れた人物だ。彼はなぜドヤの運営を始めたのか。そして、どのような日々を送っているのだろうか。

 ここではノンフィクション作家、山田清機氏が6年間にわたって取材を重ねた著書『寿町のひとびと』(朝日新聞出版)の一部を引用。扇荘旅館の帳場さん岡本相大氏のエピソードを紹介する。(全2回の2回目/前編を読む

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厳重に施錠されたドヤの管理人室

 取材当日、小窓から岡本に声を掛けると、小窓の横の鉄の扉をガチャリと開けてくれた。午前10時である。

写真はイメージです ©iStock.com

 ドヤの管理人は一般的に「帳場さん」と呼ばれている。ドヤは法律的には宿泊施設だから、帳場さんはホテルで言えばフロントマンに当たる。しかし、ドヤにはいろいろな人がいるから、管理人室には厳重に鍵が掛けられており、窓も小さく作ってあるのだ。外から手は突っ込めても、体を潜り込ませることはできない。

 管理人室は細長い形をしていて、ドヤの入り口から建物の奥の方に向かって伸びている。一番奥にはベッドがある。岡本が陣取っているのは、小窓のある一番手前(入り口側)である。

 岡本の左手にはドヤの各階の様子を映し出している大きなモニターがあり、右手には入り口周辺の様子を映しているモニターがある。このふたつのモニターさえ見ていれば、離席することなく扇荘新館の内外を監視できる仕掛けだ。