三月上旬に公開された韓国映画『野球少女』が、すこぶる面白かった。
プロ野球選手を目指す高校生の少女が、決して夢を諦めることなく戦い抜く物語。ただのスポーツ根性作品ではなく、さまざまな「現実」の障壁との葛藤のドラマがきめ細かく描かれ、感動を生む。
パワーが足りないためにプロで通用するだけの球速が出ない。が、スピンの効いたストレートは実は球速以上に打ちにくいことに気づいたコーチは、それを活かすために変化球「ナックルボール」を習得させようとする。この過程が丁寧に描かれることで、「女性でもプロで男性相手に存分に戦える」という主張にリアリティを与えていた。
そこで思い出すのが、今回取り上げる『野球狂の詩』。水島新司の同名漫画を実写化した作品だ。これが、いわば『野球少女』の日本版――というよりはその先駆け的な作品になっているのである。
東京メッツは弱小の貧乏球団で、五十三歳の岩田鉄五郎(小池朝雄)がいつまでもエースを張っている。鉄五郎はかつては鳴らした大投手だったが、寄る年波には勝てず、出ては打たれまくっていた。
新たな投手が必要と考えたスカウト(谷啓)は、一人の若い才能を見出す。それが、高校の女子野球部で活躍する水原勇気(木之内みどり)だった。鉄五郎も彼女の才能に惚れ込み、ドラフト一位で指名した。彼女は悩んだ末に、それを受け入れる。
本作が面白いのは、「女性がプロ野球で活躍する」という設定を、ただの奇想天外な話として描いていないことだ。
プロ野球は協約で女性は入れないことになっている。球団は球団で「ダメならマスコットガールで使えばいい」と考える。二位指名の選手も、女性より下位での指名を屈辱に感じて、一度は入団を拒否する――と、女性だからこその障壁や偏見がきちんと描かれているのである。だからこそ、性別関係なく一人の若い才能として向き合う鉄五郎、そして苦しみながらも実力によって認めさせようとする勇気の姿に燃えることができる。
約半世紀前に、既にこうした物語を思いついていた水島新司の先見性に感服する。
その原作を目先の「おふざけ」に走ることなく人間ドラマとして掘り下げた加藤彰監督。そして鉄五郎の熱意を真正面から演じる小池朝雄、勇気の凜とした様を具現化した木之内みどり。誰もが真摯に物語と対峙し、本作を極めて熱いものにしていた。
『野球少女』と本作。プロ野球の開幕も近づくこの時期に双方を観ることで、障壁と闘うことの尊さを是非とも改めて考えていきたいと思った。