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「嘘だと思っていた」ものの、清美さんも命令に逆らえず

〈平成7年1月1日には、松永は、由紀夫に命じて、由紀夫が××(前同)で泥棒をしたという内容の書面を書かせた。このときも、松永は甲女に対し、この書面の末尾に、「お父さんのはなしをききました。私がしょうめいします」などと書くように命令した。

 

 松永は、この書面を由紀夫に作らせた際も、由紀夫に対して執拗に通電暴行を加え、上記盗難事件の犯人だと認めるように迫った。由紀夫は当初否定していたが、ついに、自分が犯人であり、盗んだカネはトイレに隠してあるなどと無理やりに白状させられてしまった。甲女は、由紀夫の話は嘘だと思っていたが、このときも、松永の命令には逆らえなかった〉

 このときに由紀夫さんが書かされた書面は、前回の「事実関係証明書」という表題ではなく、「(株)××現金盗難被害事件についての事実関係証明書」との表題がつけられていた。一覧表にある概要は以下の通りだ。

「子どもが言いそうな文言」として松永が考案した文面

〈由紀夫が、「平成6年12月24日に××で起きた盗難事件の犯人は自分である。3会社から歩合給をもらっていたが、売上げが上がらず、サラ金の返済等でカネが必要だったことなどから、平成6年12月24日午前1時半ころ(あるいは、それより1時間から1時間半くらい遅かったかもしれない。)、(会社事務所に)鍵を開けて入り、マイナスドライバーで机の引き出しをこじ開けたように見せかけ、自分が持っていた鍵で引き出しを開けて、その中にあった金庫から現金を盗んだ。その翌朝、早めに出勤し、××の従業員に対し、『勝手口の鍵が開いていた。金庫にカネが入っていない。』などとしらじらしく聞いた。自分が犯人であることの事実関係の証明をする。」などと記載している。

 

 末尾には、作成日時(平成7年1月1日午後3時4分)、本籍地、生年月日が記載され、署名・押印がある。

 

 また、甲女が、「甲女(原文記載は実名)はお父さんのはなしをききました。私がしょうめいしますがなんとかけいさつにつかまらずにげきってほしいです。がんばってください。もうどろぼうはしないほうがいいと思います。とったおカネはのこっているならばすこしくらいお年玉にまわしてください。」と記載している。

 

 さらに、緒方が、「正に話を聞きました。これからは真じ面にするのを条件に黙っとってあげます。真じめに頑張って下さい。平成7年1月1日緒方純子」と記載している〉

幼稚園勤務時代の緒方純子

 清美さんの文面については、松永が子どもが言いそうな文言として考えたもの。なお、緒方が書いた「真面目」という文字の2種類の書き方は、原文のままだと推測される。

 由紀夫さんはその後、1995年2月頃から「片野マンション」で松永らと同居する。彼は論告書にある通り、書面を書かされる際に通電を加えられており、そうした松永らによる虐待が、この同居によって、さらにエスカレートすることになった。(第52回に続く)