札幌、横浜、渡鹿野島、飛田新地、沖縄……。かつて日本各地に「青線」と呼ばれる非合法の売春地帯が存在した。戦後の一時期売春が認められていた「赤線」と区別され、そう呼ばれていた場所は、その後どうなったのか。
10年以上かけて全国の青線とその周辺を歩いたノンフィクション作家、八木澤高明氏の著作『青線 売春の記憶を刻む旅』(集英社文庫)から、一部を抜粋して転載する。(全3回の3回め/#1、#2を読む)
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「まぁ飲んで。あんた観光で来たの?」
翌日、雪が降る中、一発屋通りへと向かった。函館の赤線はかつての大森遊廓周辺であるが、駅からほど近い一発屋通りのある若松町は、青線であった。『全国女性街・ガイド』によれば、駅前の闇市周辺にはスルメを肴に出す飲み屋が集中し、青森から来た出稼ぎのパンパンが春を売っていたという。その名残が若松町の一発屋通りなのである。
とめどなく降り続く雪は、すでに一発屋通りの未舗装の道を白く染めていた。人の足跡のない真っ新な雪を、昨日と変わらぬ薄ぼんやりとしたネオンが照らしていた。今日この通りの第1号の客は私なのかと思い、処女雪を踏みながら、小料理と書かれた看板のある店の引き戸を開けた。
「どうぞ」
店内には誰も客はおらず、白いセーターを着た年の頃60代のママと思しき女が言った。
カウンターに4席ほどの椅子が置かれた小さな店には、テレビが置かれカレンダーが掛けられているだけで、何の装飾もなかった。
店の看板には小料理と書かれていたが、吉田さんが言っていたように、おでんを作る容器はあったが、見事に空っぽで何も入っていなかった。
「まぁ飲んで。あんた観光で来たの?」
ソフトドリンクを頼んで、出てきたのは缶コーヒーだった。
「小料理? 何もないわよ。インスタントラーメンぐらいなら作るけどさ、看板に小料理って書いてあるのはさ、何も書いてないよりはいいでしょう。だから書いたのよ。隣もおでんって書いてあるけど、頼んでもコンビニで買って来なさいよって、言われるだけよ」
看板について尋ねると、思わず吹き出してしまった。
私の笑い声に気が緩んだのか、店に入って5分もしないうちに、「女の子はどうするの?」と声をかけられた。一見の客であれば、警戒して女を薦めてこないかと思ったが、まったくの杞憂であった。
「今日は、太ったのと、ガリガリのしかいないのよ」
どんな女がいるのかと尋ねたら、商売っ気があるのかないのかわからない答えが返ってきた。骨肉腫だと告白し、奥さんがいるなら買っちゃダメよと言った、カネマツ会館の遣り手婆を思い出した。
「太ったのはね、歯槽膿漏で口が臭いのよ。アンタ口臭いよって言ってやったんだけど、『ガムかみゃ平気よ』って気にしてないのよ。そんなのだからオススメできないね。ガリガリも連絡がつくかわからないけどね」