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2021/04/12

source : 文春文庫

genre : ニュース, 社会, 政治, 経済, 読書

すっぱ抜かれたゼネコン10社の訪朝

 04年10月19日、スーパーゼネコンの一角「大成建設」が幹事となり、ゼネコン10社が訪朝を計画する。朝鮮総連を窓口にし、北京経由で北朝鮮入りしようとするのだが、瀋陽滞在中、訪朝情報が漏れ、新聞にすっぱ抜かれるや、大騒ぎになる。訪朝団の担当者は、本社から帰国命令が下され、急きょ北朝鮮視察を中止した。騒動は、北朝鮮視察の幹事社だった大成建設に右翼活動家が発砲する事件にまで発展した。

「実は、ゼネコン数社は問題になった訪朝の前にも、大成さんを中心とした事前視察として向こうに行っていました。報道された計画より1年近く前の03年11月3日です。しかし、そのときは何の問題にもならなかった。それで、翌年の計画を立てたわけです」

 訪朝団に参加した業者の1人が訪朝秘話を明かす。

「ただ、拉致被害というナーバスな問題もありましたからね。すでに被害者の方たちの帰国が予想されていたので、今度はその前に行こうとしていた。ところが、朝鮮総連を通じた北朝鮮政府の許可がなかなか下りなかったのです。それで訪朝が10月までずれ込んでしまった。タイミングとしては、最悪でした」

噴き出した国内世論の批判

 02年の第一次小泉純一郎訪朝により、13人の拉致被害を認めた北朝鮮からまず5人の被害者が帰国した。だが北朝鮮政府は、残る8人については生存していない、と強硬に突っぱねる。おまけに5人の拉致被害者たちに対し、一時帰国なので北朝鮮へ戻すよう、頑なに主張してきた。しかし、被害者たちはみずから日本に残る選択をする。非常にナーバスな時期である。

 あくまで日本政府は、拉致被害者の夫や子供たちの帰国を北朝鮮に要請し続けた。ようやくそれが実現したのが、04年5月22日だ。このあたりから、生存者の調査もろくにおこなわない北朝鮮に対し、くすぶり続けていた国内世論の批判が一挙に噴き出す。大成建設を団長としたゼネコンの訪朝はその真っただ中の出来事だった。それだけに、風当たりが強かったといえる。訪朝団の1人が悔やむ。