伊藤 似たようなもんですね。彼はもともとそんなに左翼だったわけじゃなくて、だんだん、だんだん……今の歴史学界を見たら、やっぱり左翼でないとやりにくいんですよ。
――ある意味生存戦略によって変わっていったと?
伊藤 それが自然なんでしょうね。上昇志向のある人はそうなると思いますよ。
――しかし伊藤さんご自身はそうならずに、東大の教授にまでなられたわけですよね。なぜ、そのようなことが可能だったんでしょうか。
伊藤 その頃は左翼が全盛というほどではなかったんですよ。左翼でない者も住める世の中だった。ただ、大学にいる頃はやっぱり、これは将来、就職は無理かなと思ってました。大学はだいたい左翼が握ってたからね。
かつて共産党に入党した理由
――伊藤さんは一貫してマルクス主義の問題について言及されていますが、学生の頃には一時期、共産党に入党されていましたね。それは当時、共産党やマルクス主義に対して何か共感があったからなのでしょうか。
伊藤 そうですね。僕はね、中学の1年のときに戦争が終わったのかな。それで先生たちを見ていると、それまで軍国主義的な態度をとっていた人たちが、コロッと変わったわけですよ。それで、そういう人たちのことをすごく嫌いになって。そこから始まっているんです。
――権威を振りかざすような人間は嫌いだと?
伊藤 というよりも、世の中の動きに自分を合わせていくような、そういう連中が嫌で。そうしてみると、やっぱり共産党は一貫している、と思ったことは確かですね。でも、入ってみるとね、中は同じだった。要するに、いかにして昇進するかということでね。小心翼々とやっているわけですよ。お金の問題に汚いし、女性関係は本当にいい加減だし。僕は一時期は本当に、職業的な運動家になろうと思ってたの。
――民青のキャップもされていました。
伊藤 そう。でも、これはダメだと思って、六全協(日本共産党第6回全国協議会)のときをきっかけにして、共産党から離れたんです。
――その後の共産主義やマルクス主義との関わりを見ますと、伊藤さんはその方面からかなり批判、攻撃をされているなとも思います。小学館の「日本の歴史」シリーズの一巻として出された『十五年戦争』に対する反応はちょっと驚きました。自費出版本の『落ち穂拾い』で引用されていますが、「反動的歴史観」「再読するに耐えぬ」「吐き出したいほどの著書」「不愉快きわまりない本」(松尾章一)と……。これが当時としては標準的な空気だったのでしょうか。
伊藤 本当に彼らがそう考えているのか、それともそう言わないと自分の身が危ないと思って言っているのかは、よくわからないですけれど。もう滅多やたらにやられましたよ。
保守と左翼のバランスは変わっていない?
――昭和50年代ですと、それ以外にも、伊藤さんがNHKの高校講座『日本史』を担当されたときに、朝鮮戦争が北朝鮮の侵略で始まったと書こうとすると訂正を求められたとか、強烈なエピソードがたくさんあります。とはいえ、今はそれほどでもないような気がするんですけれども。
伊藤 それは、左翼も認めざるを得ないからでしょ。北朝鮮が攻め込んだということは。
――かつてはマルクス主義がすごく強かった、それに対していろいろ対抗しなければならなかった、というのはよくわかるんです。ただ、現代は左翼も弱くなっていて、たとえば安倍さんが歴代最長の政権を築いたように、むしろ保守の方が強いのかなという気もするんですが。
伊藤 いや、そんなことはないですよ。自由民主党は憲法改正を綱領のトップに置いているにもかかわらず、未だに何もできないでしょ。なぜかと言ったら、自民党の中にも東京裁判史観みたいな人がいるわけ。だからね、ものすごく強いんですよ。ソ連が崩壊したときも、かなりの人が「これでマルクス主義は終わりだ」と言ったんです。でも、「そんなことはない」と僕は言ったんですよ。だって、隣に中国共産党があるじゃない。北朝鮮の(朝鮮)労働党があるじゃない。ベトナムも共産党だよ。
まあ、中国共産党というのはアジア的なものであって、純粋な共産党じゃないんだと言う人もいましたけど、やっぱりね、一党独裁でやってるわけですから。それでこの間までODAを貰っていたような国が、今や偉そうに日本を見下して、尖閣列島をよこせと言ってる。
――安倍さんがあれだけ長く総理を務めたとはいえ、日本ではまだまだ左翼、共産党は厳然たる力を持っている?